善福寺公園めぐり

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シネマ落語

銀座の東劇で上映中(6月10日まで)のシネマ落語「落語研究会 昭和の名人 弐」。

落語を映画で聴く(観る?)なんて、と思ったが、出演しているのが三代目古今亭志ん朝、十代目金原亭馬生、六代目三遊亭圓生、八代目林家正蔵(のちの彦六)と、すでに鬼籍に入っている人たちばかりだから、やむを得まい。

ただし、上映しているのは以前(今もかもしれないが)、テレビで明け方にやっていたTBSの「落語特選会」(だったか)の映像。司会は山本文郎氏で、解説は榎本慈民氏。国立劇場での収録だったが、早起きすればタダで聴けたのが、シネマ落語は2,000円。シネマ歌舞伎といい、うまい商売を考えたもんだ。

昼間だから客はおじさん、おばさんばかり。昔の噺家のオンパレードで、男性ばかりかと思ったら、意外と女性客が多かった。

演目は志ん朝船徳』、馬生『臆病源兵衛』、圓生『引越しの夢』、正蔵中村仲蔵』。
もしナマの高座だったら、これだけの顔ぶれが一堂に会するなんてなかったろう。特に圓生正蔵は仲違いした関係だし・・・。

でも、こうやって続けて聴くと、それぞれの個性の違いがよく出ていて楽しい。
志ん朝の『船徳』は1983年の収録。志ん朝45歳のとき。若い。といって63かそこらで亡くなってしまったのが残念だが・・・。
大家の若旦那が船宿の親父に頼み込んでにわか船頭になったはいいが、夏の暑い盛り、客を乗せて失敗をやらかす、という噺だが、若旦那をやらせたら右に出る者のいなかった志ん朝ならではの高座。桂文楽も『船徳』を十八番の1つとしてやっていて、油照りの夏の暑さを見事に表現していたが、若旦那はやっぱり志ん朝だなー。
ただし、文楽は道楽がすぎて勘当された若旦那の設定でやっていたが、きのうの志ん朝はいきなり若旦那がわがままをいって「船頭をやらせてくれ」と言っていた。

馬生の『臆病源兵衛』は1979年、馬生51歳のときの収録。初めて聴く噺。志の朝の兄だが芸風はまるで違っていて、独特の間の取り方とニュアンスが何とも言えない。

圓生の『引越しの夢』は1970年、70歳のときの収録。スケベおやじの雰囲気がよく出ていてこれも圓生らしい。

トリは正蔵の『中村仲蔵』。1972年、77歳。正蔵ファンとしては一番聴きたい噺が聴けて大満足。泣かせる噺じゃないんだが、正蔵の芸にほれぼれして思わず涙ぐんでしまった。

芝居噺が得意な正蔵ならではの高座。
歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の五段目で斧定九郎を工夫して現在の型にしたという実録談。ふつう、こういう実録談は講談から持ってくることが多いのだが、落語の『中村仲蔵』は仲蔵本人が書いた随筆に出てくる話をほぼ忠実に落語芸として一席にまとめたものという。

正蔵は五段目を身振り手振りで演じて見せるが、客席の様子を含め、歌舞伎の舞台が鮮やかに甦ってくる名演だ。ちなみに、正蔵が演じる五段目は今の実際の歌舞伎とは少し違うのだという。あくまで江戸時代の演出内容を再現しているんだそうで、何としても江戸にこだわる正蔵の芸。
名人芸とはそういうことをいうのかもしれない。