善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

大寒でも水浴びは楽し

木曜日朝の善福寺公園は快晴。けさも極冷え。都心の最低気温は6時48分にマイナス1℃。

きょうは「大寒」だから暦通りか。

 

上池のカワセミは、けさも同じ場所でエサをねらっている。これで5日連続。f:id:macchi105:20220120095312j:plain

すると小魚をゲットし、すぐに飲み込んだ。f:id:macchi105:20220120095345j:plain

やっぱりここは好漁場というので腰を据えているのだろう。

 

池の反対側のはじっこにいるカワセミは?と探すが見当たらなかった。こっちは氷が張っていてエサとりは難しいから、別の場所に遠征していったか?

 

下池に向かう途中ではハクセキレイが水浴び中。f:id:macchi105:20220120095441j:plain

大寒の寒さでも鳥はきれい好き。f:id:macchi105:20220120095501j:plain

やがて満足したのか石の上でお尻振り振り、羽の滴を飛ばしていた。f:id:macchi105:20220120095526j:plain

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下池では2羽のバンが仲よく日光浴。f:id:macchi105:20220120095611j:plain

 

再び上池に戻る途中、久しぶりにアオジが地面におりてきて、エサを探していた。f:id:macchi105:20220120095636j:plain

エサを探したりこっちを見たり、いろんなポーズをしてくれるので楽しいひととき。f:id:macchi105:20220120095703j:plain

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ヤツデにはメジロが訪れていた。f:id:macchi105:20220120095801j:plain

 

上池に戻ると、池のほとりにカワセミf:id:macchi105:20220120095831j:plain

いつもは池の端にいるのがここまで“進出”してきたのだろうか?

クリント・イーストウッド監督・主演「クライ・マッチョ」

新宿TOHO CINEMASで上映中のクリント・イーストウッド監督・主演「クライ・マッチョ」を観る。

 

製作・監督・主演クリント・イーストウッド、ほかに出演者はエドゥアルド・ミネット、ナタリア・トラヴェン、ドワイト・ヨアカムほか。

 

1930年生まれだから今年92歳になるイーストウッドがいまだ現役で監督をするのもスゴイと思うが、主演までするというのだからなおさらスゴイ。背が高くてやせているから見た目カッコイイし、近くに寄っても老人ではあるもののやはりカッコイイ。

しかし、体の動きはさすがにゆっくり。映画の展開もゆったりしていて、スローフードで癒されながらのんびり見る滋味あふれる映画といったらよいか。

 

落ちぶれた元ロデオスターの男が、親の愛を知らない少年とともにメキシコを旅する中で「本当の強さ」の新たな価値観に目覚めていく姿を描いたヒューマンドラマ。1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュによる小説を映画化したという。

 

アメリカ、テキサスで、かつてロデオ界のスターとして一世を風靡したものの、落馬事故をきっかけに引退。妻と子が自動車事故で亡くなってからは生きがいも見失って、今は競走馬の種付けで細々と一人暮らす年老いたカウボーイのマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)。

ある日、元の雇い主から、別れた妻に引き取られている10代の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)をメキシコから連れ戻してくれと依頼される。犯罪スレスレの誘拐の仕事だったが、元雇い主に恩義があるマイクは引き受ける。
男遊びに夢中で飲んだくれの母親に愛想をつかして家出し、闘鶏用のニワトリを使った賭け事に熱中しストリートで生きていたラフォは、マイクとともに米国境への旅を始めるが、そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。先に進むべきか、留まるべきか?マイクは少年とともに人生の岐路に立たされる・・・。

 

ちっっとだけピストルが出てくるが、ドンパチはないし、派手なアクションもない。イーストウッド扮するマイクが一発だけ追っかけてきた男にパンチを食らわすだけ。

それに、アメリカに連れていく少年は、家出してストリートで生きているというが、それにしてはすさんだところはなく、真面目でやさしげな少年としてマイルドに描かれている。

したがって物語は老人と少年をめぐるファンタジーとなっていて、90すぎのイーストウッドが主演だから、テーマはどうしても“老人問題”となっていく。

 

2人の旅の途中、ある集落に居つくことになって、獣医かなんかに間違われたマイクに村人たちがケガをしたりしたペットとか動物を連れてきて診てもらうシーンがある。年老いた犬を連れてきて「最近、元気がないんだけど」と相談に来た女性には、「休息が大事だから、一緒に寝てあげなさい」とアドバイスする。年寄りには休息が必要だというのは、まさに自分のことをいってるのだろう。

 

題名の「クライ・マッチョ」というのも、老いた主人公を指しているのだろう。

少年が連れている闘鶏用の鶏は名前が「マッチョ」といって、「クライ・マッチョ」はニワトリに対して「マッチョよ、鳴け」といっているようでもあるが、やはりここは「かつてマッチョだったマイクよ、思い切り泣け(あるいは叫べ)」ということだろう。

 

彼にはかつて「マッチョ」と呼ばれた栄光の歴史があった。「マッチョ」とは「男らしさ」とか「勇敢」、名詞にすれば「勇敢で男らしい人」といった意味になるだろうが、映画の中でマイクはマッチョについて次のように語るのだ。

「マッチョというのは過大評価されすぎだよ。人は頼もしく見られたいがためにマッチョであろうとするが、年を取ってようやく無知な自分を知る。それに気づいたときはもう手遅れなんだ」

何て含蓄のある言葉。やはり90をすぎた老カウボーイだからこそいえる言葉だろう。

「無知な自分」を知ってこそ、「本当の強さ」とはわかるようになるものなのだよ、とイーストウッドはいいたかったのだろうか。

きのうのワイン+映画「マイ・フレンド・フォーエバー」

スペインの赤ワイン「グラン・サングレ・デ・トロ・レゼルヴァ(GRAN SANGRE DE TORO RESERVA)2016」

(写真はこのあとピーマンとナス、トマトの挽き肉はさみ)f:id:macchi105:20220119130006j:plain

フランスとの国境に近いバルセロナの近郊、ペネデス地方でワインを造り続けて140年以上の歴史を持つワイナリー、トーレスの赤ワイン。

1954年に誕生したトーレスを象徴するシリーズ、サングレ・デ・トロ。その格上シリーズで、カタルーニャの中でも地域を限定し、厳選したブドウを使用。サングレ・デ・トロよりも長い熟成期間を設け、地中海沿岸のカタルーニャらしさをより追求したワインという。

ブドウ品種はシラーとガルナッチャ。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「マイ・フレンド・フォーエバー」。

1995年の作品。

原題「THE CURE

監督ピーター・ホルトン、出演ブラッド・レンフロ、ジョゼフ・マゼロ、アナベラ・シオラほか。

 

2人の少年の深い友情を、ユーモアを交えながら描いたヒューマンドラマ。

米中西部の北、ミネソタ州の小さな町。両親が離婚し、母親と暮らす12歳の少年エリック(ブラッド・レンフロ)の家の隣に新しい住人が引っ越してきた。その家の子は11歳のデクスター(ジョゼフ・マゼロ)で、輸血が原因でエイズに感染していた。始めは戸惑い、敬遠していたエリックだったが、やがてデクスターと心が通い合い、友情が芽生えていく。

デクスターの病気を何とか治せないかと、エリックは雑草を煎じて飲ませたりしてエイズに有効な薬を探すも、失敗する。そのうち、ニューオーリンズで「エイズの特効薬が見つかった」というタブロイド新聞の見出しを目にし、2人はデクスターの母親(アナベラ・シオラ)に内緒で1000㎞も離れたニューオーリンズへ向かって川を下る旅に出るが・・・。

 

邦題の「マイ・フレンド・フォーエバー」は「ずっとぼくの友だち」といった意味だが、原題は「THE CURE」。

「CURE」は「治す、治療する、癒す」といった意味だから、「THE」がついて「治療法」「癒し方」といった意味になるだろうか。原題はよりストレートにエイズに焦点を当てている。

 

エイズは、現在ではさまざまな治療薬や治療法が開発されて適切な治療により症状をコントロールしながら普通の生活を送ることができるようになっているが、この映画が公開された当時は治療法のない、「死の病」というイメージが強かっただろう。

今も完治にいたるような特効薬はあらわれてないが、当時はより切実に新しい治療法や新薬が求められていて、治療法がないのなら、いかに患者を心と体の両面から癒すかも大切になっていたのだろう。

 

以前、がんや難病の子どもたちを対象にした緩和ケア施設の担当者の話を聞いたことがあるが、ホスピスについて次のように話していたのが今も心に残っている。

ホスピスは死んでいく場所ではありません。誰よりも懸命に生きている人たちがいる場所です」

きのうの映画は、2人の少年が友情で結ばれ、明るく楽しく懸命に生きている映画だった。

静かな公園

水曜日朝の善福寺公園は快晴。厳しい寒さ。池には氷が張っていた。

 

上池ではけさも同じところにカワセミのオス。f:id:macchi105:20220119091058j:plain

これで4日連続して同じ場所からエサをねらっいている。

 

池をめぐっていくと、こちらもいつもの同じ場所に別のカワセミf:id:macchi105:20220119091206j:plain

おととし生まれた三郎くんだろうか。

 

上池から下池に向かっていると、シメがお尻を突き出すポーズ。f:id:macchi105:20220119091231j:plain

クチバシの形を見ればすぐにシメとわかる。

 

下池を1周するが、あまり鳥の声がしない。何て静かな公園。

オオタカでもきているのだろうか?

アオゲラがけたたましく鳴きながら高いところを飛んでいたが・・・。

 

ふたたび上池に戻ると、池のはじっこに三郎くんらしいのが1羽。f:id:macchi105:20220119091301j:plain

 

さらに池をめぐっていくと、さけ最初に見たと思われるカワセミf:id:macchi105:20220119091330j:plain

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やっぱり、池の反対側と反対側で棲み分けを行っているんだろうか?

 

カワセミたちのいるところ

火曜日朝の善福寺公園は快晴。空気は冷たいが日差しは暖かい。乾燥しているので霜はなし。

 

けさも上池のほとりのいつもの小枝の先にカワセミのオス。f:id:macchi105:20220118092045j:plain

きっとエサ獲りの成功体験を学習したのだろう、3日連続で同じところにいる。

 

池をめぐっていくと、はじっこの目立たない場所には、こちらもこのところ毎日、同じ場所に別のカワセミのオス。f:id:macchi105:20220118092109j:plain

絵本の「かいじゅうたちのいるところ」じゃないが、ここは「カワセミたちのいるところ」。

 

下池では、コゲラが次々にやってきてはエサを探している。

ヒョイと顔を出したところ。f:id:macchi105:20220118092128j:plain

 

けさも公園のあちこちでメジロを見る。

地面に落ちている赤い実をゲット。f:id:macchi105:20220118092153j:plain

ゴックン飲み込んだところ。f:id:macchi105:20220118092210j:plain

別の場所でもメジロが地面におりていた。f:id:macchi105:20220118092235j:plain

 

下池を1周してふたたび上池に戻ると、池のはじっいこにいたカワセミが、同じ場所でエサをねらっていた。f:id:macchi105:20220118092256j:plain

池の真ん中まで飛んでいけばいいのに、こんな隅っこでいいのかな?

 

ホシハジロが羽繕い中だった。f:id:macchi105:20220118092316j:plain

 

きのうのワイン+映画「春のソナタ」他

チリの赤ワイン「モンテス・クラシック・シリーズ・メルロ(MONTES CLASSIC SERIES MERLOT)2020」f:id:macchi105:20220118090147j:plain

ワイナリーは、ブドウを持ちグラスを掲げるエンジェルがシンボルマークのモンテス。

生産地はチリのセントラル・ヴァレー、ラペル・ヴァレー、コルチャグア・ヴァレー。

ブドウ品種はメルロとカルメネール。

まろやかで飲みやすいワイン。

 

ワインの友で観たのは民放のBSで放送していたフランス映画「春のソナタ」。

1990年の作品。

原題は「CONTE DE PRINTEMPS」。「春の物語」という意味らしい。

監督エリック・ロメール、出演アンヌ・ティセードル、フロランス・ダレルほか

 

偶然出会った2人の女性が周囲の人々をも巻き込んで織りなす微妙な恋愛心理を春のパリを舞台に描くドラマ。エリック・ロメール監督による「四季の物語」シリーズの第一作にあたるという。

 

高校の哲学教師のジャンヌ(アンヌ・ティセードル)は、自分の部屋は田舎から試験のためパリにきているいとこの女性に貸していて、その女性が兵役中の恋人とすごしていることを知ってもう少し貸したままにする。一方、同居中の彼氏は旅行中で、彼氏のいない部屋で一人すごすのも気が進まず、行き場を失った形となっている。

そんなとき、たまたま行った大学時代の友だちの家でのパーティーで、ピアノ科の学生のナターシャ(フロランス・ダレル)と知り合い、彼女が一人で住む父イゴール(ユーグ・ケステル)の広いアパートに寝泊まりすることになる。

イゴールは6年前にナターシャの母である妻と離婚し、今はナターシャとあまり年の変わらない愛人エーヴ(エロワーズ・ベネット)と暮らしていて、ナターシャはエーヴを嫌っていた。

ナターシャは、むしろ父親と年が近いジャンヌのほうが父にふさわしいと思い、2人を近づけようとするのだが・・・。

 

冒頭に流れる音楽はベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》」(別名スプリング・ソナタ)で、邦訳のタイトルはここからきているようだ。

ナターシャがピアノを弾くシーンもあり、曲はシューマンの「夜明けの歌」、そしてカセットテープから流れるのはナターシャが演奏するシューマンの「交響的練習曲」。

ジャンヌ、ナターシャ、エーヴの女3人とナターシャの父親のイゴールとの会話が主に物語が進んでいくのだが、カントの「超越論的観念論」とか、ヘーゲルニーチェといった哲学者の理論がポンポンと飛び出し、実に理屈っぽい展開。

映画に出てくるどの部屋にも立派な本棚があって、ハードカバーの分厚い本がぎっしり並んでいるが、どれも哲学の本だろうか。

そいうえば主人公のジャンヌは高校の哲学教師。日本の高校には哲学なんて科目はないが、フランスは哲学の国なんだなと妙に納得させられる映画だった。

 

ヨーロッパでは、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルは高校で哲学を学ぶことが義務づけられているという。

フランスの高校生は「バカロレア」と呼ばれる高校教育修了を認証する国家試験に合格しないと卒業ができないとされているが、この「バカロレア」の初日に出されるのが哲学の問題。たとえば2021年の一般バカロレアの哲学の問題は次のようなものだったという。

 

次の4つのうち1問を選んで答えよ
-Discuter, est-ce renoncer à la violence ?
(議論することは暴力を放棄することか?)
-L’inconscient échappe-t-il à toute forme de connaissance ?
(無意識は、すべての形の認識を逃れるか?)
-Sommes-nous responsables de l’avenir ?
(私たちは、未来に対して責任があるか?)
-Texte d’Émile Durkheim issu de La Division du travail social,1893
エミール・デュルケーム『社会分業論』(1893年)の抜粋テキストを解説せよ)

 

ちなみに、この問題が出た21年のバカロレアの合格率は90・5%だそうだから、フライスの高校生にとって哲学の問題はさほど難しいものでもないのだろう。

高校で哲学をみっちり学んでいるから、フランス人はこと恋愛に関しても、あの映画のように哲学を語るのだろうか。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ・オーストラリア合作の映画「オーストラリア」

2008年の作品。

監督:バズ・ラーマン、出演ニコール・キッドマンヒュー・ジャックマンデヴィッド・ウェンハム、ブライアン・ブラウンほか。

 

太平洋戦争が始まろうとしていたオーストラリア。英国貴族レディ・サラ・アシュレイ(ニコール・キッドマン)は行方不明の夫を追ってオーストラリアへやってくるが、夫はすでに死んでいて、残されたのは広大な土地と1500頭の牛だった。

野性的なカウボーイ(ヒュー・ジャックマン)と、牧場の使用人の息子で白人とアボリジニのハーフでもあるナラという少年と出会った彼女は、相続した牧場と家畜を守るため、彼らの力を借りて家畜を引き連れ北部のダーウィンめざして大陸横断の旅に出る。

しかし、彼女の前には戦争を利用して一儲けをたくらむ大地主キング・カーニー(ブライアン・ブラウン)が立ちはだかり、太平洋戦争の開戦とともに日本軍が攻めてきて・・・。

 

この映画で描かれているのも、アメリカの西部開拓史同様、先住民であるアボリジニの土地をヨーロッパからの白人入植者たちが奪い、先住民たちは必至の抵抗も虚しくほかの地域へ追いやられてった歴史だった。

長く抑圧されてきたアボリジニの市民権が認められたのは1967年、先住権が認められて元々のアボリジニ居住地域の所有権が認められたのは、ようやく1993年になってからだという(アボリジニについてのWikipediaより)。

静かなはず オオタカ?飛来

月曜日朝の善福寺公園は晴れたり曇ったり。風が弱いので助かる。

寒さゆるんだのか、池の氷は消えていた。

 

上池では、さけもきのうと同じようなところにカワセミf:id:macchi105:20220117101140j:plain

去年生まれた若い方のオスか。

 

池をめぐっていって、池のはじっこの目立たない場所にいたのは、おととし生まれた三郎だろうか?

小魚をゲットしてゴックンしたところ。f:id:macchi105:20220117101204j:plain

 

下池に向かっていると、高い木の枝にシメがいた。f:id:macchi105:20220117101225j:plain

 

下池にはキセキレイが飛んできていてた。f:id:macchi105:20220117101247j:plain

隠れていた虫をゲット。f:id:macchi105:20220117101308j:plain

ミミズみたいにクネクネしている。f:id:macchi105:20220117101325j:plain

やがてゴックン飲み込んで、満足したのか飛び去っていった。f:id:macchi105:20220117101346j:plain

それにしてもおなかがまん丸でボールみたい。

 

さらに池をめぐっていくが、なぜかけさは鳥の声があまりしない気がする。

ずいぶん静かだなーと思っていると、静かなはずだ、オオタカらしいのがやってきていた。f:id:macchi105:20220117101411j:plain

獲物を探してか、鋭い目つきであたりをうかがっていた。

 

下池を1周して上池に向かっていくと、小川のあたりでメジロシジュウカラの声。

オオタカを避けてこっちまできてたのか。

ウグイスもやってきていた。f:id:macchi105:20220117101437j:plain

いつもは藪の中を移動していてなかなか姿をみせないが、けさはエサを探して出てきてくれ大サービス。f:id:macchi105:20220117101507j:plain

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ふたたび上池に戻ると、さっきエサをゲットしたカワセミが、きのうと同じところに座り込んでいた。

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おととし生まれた三郎だとすると、今年で生後まる2年になる。去年は8羽の子どもたちの父親だったが、どうやら縄張りを下池からやってきた若いオスに譲ったか奪われたかしたらしく、池の隅の方でジッとしている感じ。

 

池をめぐっていると、縄張りの主らしいのが枝にとまっていた。f:id:macchi105:20220117101606j:plain

野鳥、特に小型の野鳥の寿命は短くて、カワセミの平均寿命は2年といわれている。

もっともこれは人間と同じで生まれてすぐに死んだのも含まれるから、あくまで平均の寿命で、中には長生きするものもいるだろう。

飼育下のカワセミでは、ワライカセミ上野動物園で11年1カ月生きたという記録があるらしい。

人間だって生物学的には120歳ぐらいまで生きられるらしいが、最適な環境下にあればカワセミだって長生きする。

しかし、縄張りを失えばエサが捕れなくなって力尽きたり、天敵に襲われることもある。

ほかの野鳥にしても、スズメは1年3カ月、シジュウカラは1年8カ月、ツバメは1年1カ月とかいわれるが、数は少ないものの、野生下においても経験や学習を積んで数年から10年以上生きることもあるといわれるから、三郎には「がんばってね」というほかはない。