善福寺公園めぐり

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クリント・イーストウッド監督・主演「クライ・マッチョ」

新宿TOHO CINEMASで上映中のクリント・イーストウッド監督・主演「クライ・マッチョ」を観る。

 

製作・監督・主演クリント・イーストウッド、ほかに出演者はエドゥアルド・ミネット、ナタリア・トラヴェン、ドワイト・ヨアカムほか。

 

1930年生まれだから今年92歳になるイーストウッドがいまだ現役で監督をするのもスゴイと思うが、主演までするというのだからなおさらスゴイ。背が高くてやせているから見た目カッコイイし、近くに寄っても老人ではあるもののやはりカッコイイ。

しかし、体の動きはさすがにゆっくり。映画の展開もゆったりしていて、スローフードで癒されながらのんびり見る滋味あふれる映画といったらよいか。

 

落ちぶれた元ロデオスターの男が、親の愛を知らない少年とともにメキシコを旅する中で「本当の強さ」の新たな価値観に目覚めていく姿を描いたヒューマンドラマ。1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュによる小説を映画化したという。

 

アメリカ、テキサスで、かつてロデオ界のスターとして一世を風靡したものの、落馬事故をきっかけに引退。妻と子が自動車事故で亡くなってからは生きがいも見失って、今は競走馬の種付けで細々と一人暮らす年老いたカウボーイのマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)。

ある日、元の雇い主から、別れた妻に引き取られている10代の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)をメキシコから連れ戻してくれと依頼される。犯罪スレスレの誘拐の仕事だったが、元雇い主に恩義があるマイクは引き受ける。
男遊びに夢中で飲んだくれの母親に愛想をつかして家出し、闘鶏用のニワトリを使った賭け事に熱中しストリートで生きていたラフォは、マイクとともに米国境への旅を始めるが、そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。先に進むべきか、留まるべきか?マイクは少年とともに人生の岐路に立たされる・・・。

 

ちっっとだけピストルが出てくるが、ドンパチはないし、派手なアクションもない。イーストウッド扮するマイクが一発だけ追っかけてきた男にパンチを食らわすだけ。

それに、アメリカに連れていく少年は、家出してストリートで生きているというが、それにしてはすさんだところはなく、真面目でやさしげな少年としてマイルドに描かれている。

したがって物語は老人と少年をめぐるファンタジーとなっていて、90すぎのイーストウッドが主演だから、テーマはどうしても“老人問題”となっていく。

 

2人の旅の途中、ある集落に居つくことになって、獣医かなんかに間違われたマイクに村人たちがケガをしたりしたペットとか動物を連れてきて診てもらうシーンがある。年老いた犬を連れてきて「最近、元気がないんだけど」と相談に来た女性には、「休息が大事だから、一緒に寝てあげなさい」とアドバイスする。年寄りには休息が必要だというのは、まさに自分のことをいってるのだろう。

 

題名の「クライ・マッチョ」というのも、老いた主人公を指しているのだろう。

少年が連れている闘鶏用の鶏は名前が「マッチョ」といって、「クライ・マッチョ」はニワトリに対して「マッチョよ、鳴け」といっているようでもあるが、やはりここは「かつてマッチョだったマイクよ、思い切り泣け(あるいは叫べ)」ということだろう。

 

彼にはかつて「マッチョ」と呼ばれた栄光の歴史があった。「マッチョ」とは「男らしさ」とか「勇敢」、名詞にすれば「勇敢で男らしい人」といった意味になるだろうが、映画の中でマイクはマッチョについて次のように語るのだ。

「マッチョというのは過大評価されすぎだよ。人は頼もしく見られたいがためにマッチョであろうとするが、年を取ってようやく無知な自分を知る。それに気づいたときはもう手遅れなんだ」

何て含蓄のある言葉。やはり90をすぎた老カウボーイだからこそいえる言葉だろう。

「無知な自分」を知ってこそ、「本当の強さ」とはわかるようになるものなのだよ、とイーストウッドはいいたかったのだろうか。