まずは前座の入船亭辰じん「道灌」、続いて柳家一琴「三人無筆」、山遊亭金太郎「阿武松」、中トリは春風亭小柳枝「井戸の茶碗」。仲入りのあと、柳家小さん「親子酒」、曲芸 柳貴家小雪、そして大トリ、柳家小三治「あくび指南」。
小柳枝の落語は初めて聴くが、江戸落語の継承をめざしているとかで、さすがに上手い。侍と屑屋の心温まる人情噺に思わずホロリ。
たっぷり30分のまくらで笑わせる。
栗にはじまりゴキブリの話。仕事で旅に出るとその土地でとれた栗を買うことにしているんだそうが、どこにいっても茨城産ばかり(あとで調べたら栗の生産量日本一は茨城県)。
今年は夏の猛暑で栗が不作。猛暑といえば、おかげでゴキブリが涼しくなってから出るようになり、きのうも見つけたという。
そこから、小三治が加わる句会(宗匠は入船亭扇橋)でゴキブリの句を作ったことがあり、どんな句かというと、
栗にはじまりゴキブリの話。仕事で旅に出るとその土地でとれた栗を買うことにしているんだそうが、どこにいっても茨城産ばかり(あとで調べたら栗の生産量日本一は茨城県)。
今年は夏の猛暑で栗が不作。猛暑といえば、おかげでゴキブリが涼しくなってから出るようになり、きのうも見つけたという。
そこから、小三治が加わる句会(宗匠は入船亭扇橋)でゴキブリの句を作ったことがあり、どんな句かというと、
ゴキブリは音から先にやってくる
この句を、「日本で一番」とうわさされる高羽ナントカという高名な俳人が見て、「惜しい!」といったとか。1字変えるだけでもっといい句になるというので、その高羽ナントカさんが添削した句は、
ゴキブリが音から先にやってくる
なるほど、とうなったところで、スッと「あくび指南」に入る。
近所に「あくび指南所」という看板を掲げた家があらわれて、町内の若い衆が出かけて行って稽古をつけてもらう、という話。三代目三遊亭小圓朝がオハコにしていて、上演台本を見るとごくあっさりやっているが、小三治のはくすぐりの連続。久々に大笑いする。
あくびの指南なんて、考えてみれば何ともばかばかしい話である。そのばかばかしい話を大まじめでやるところが落語の真骨頂であろう。だからこそ落語はおもしろい。
元来は上方の話だそうで、いかにも「商いは笑いから」という上方らしい。やはり上方の小咄に「あくび売り」というのがあって、商人「あくび売ろ売ろ」買人「コリヤ、あくび、上の籠のあくびは何ほどじゃ」「ハイ、これは薩摩のあくびでござります。これより仙台のあくびになさりませ」「それはなんぼぢゃ」商人、そろばんを入れて「ハイ、拾五両にいたしましょう」──あくびを売る商売を考え出すぐらいだから、あくびの稽古所があってもおかしくないのが落語の世界だ。
フランスの哲学者アランの言葉。
「幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ」
「幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ」
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