善福寺公園めぐり

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第8回亀治郎の会 宙乗り狐にうっとり

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きのう(8月20日)は第8回亀治郎の会を国立劇場大劇場で観る。
イープラス特別企画公演というので、『義経千本桜』4段目の道行初音旅(みちゆきはつねのたび)と河連法眼館の段(かわつらほうげんやかたのだん)+亀治郎のアフタートーク

会場は満員。いつもの歌舞伎座と違って若い人が多い。亀治郎の人気のほどがうかがえる。

義経千本桜』4段目の河連法眼館の段は、単に『義経千本桜 四(し)ノ切』という場合が多い。「四ノ切」とは本来、「5段構成の義太夫狂言の4段目の幕切れ前」という意味だそうだが、歌舞伎ではこの「河連法眼館の段」が特に人気なため、単に「四ノ切」といえばこの段を指すようになったという。

市川亀治郎宙乗り狐六方相勤め申し候」というのが今回の目玉だけに、佐藤忠信(実は源九郎狐)は市川亀治郎、ほかに、源義経市川染五郎静御前中村芝雀亀井六郎中村亀鶴、川連法眼・市川寿猿、法眼妻飛鳥・上村吉弥駿河次郎市川門之助その他。

この『義経千本桜』、元は人形浄瑠璃の名作。義経主従が兄頼朝の不興を買い、静御前とともに都落ちをする。このとき、義経に従った武将佐藤忠信静御前の窮地を救い、静御前とともに吉野の里まで旅をするが、実はその忠信とはキツネの化身だった。静御前義経から預かった「初音の鼓」に張られた皮はそのキツネの両親のもので、親恋しさにまとわりついてきたのだった。
正体を見破られたキツネだが、義経主従を危機から救ったというので、両親の皮を張られた「初音の鼓」義経から与えられて、喜び勇んで天空へと消えてゆく──というストーリー。

アフタートーク亀治郎がいうことには、「四ノ切」には2つの型があって、1つは「音羽屋型」と呼ばれるもので、6代目菊五郎から当代の菊五郎と、当代の勘三郎に伝承されている。こちらはキツネの心の動きを巧みに演じるところがミソで、動きは比較的地味。(そういえば歌舞伎座さよなら公演で勘三郎の源九郎狐を観たが、このときは早替わりなど多少のケレンはあったが宙乗りはなかった)

これに対して、ケレンの極致といえるのが猿之助の型。
戦後はあまり上演されなかったこの場面をよみがえらせたのが当代の市川猿之助で、1968年に国立劇場で復活上演し、宙乗りなど多くのケレンを交えて歌舞伎の名場面に仕立て上げた。
「ケレン」とは、漢字で書くと「外連」というそうで、「広辞苑」よれば本来の意味は「ごまかすこと」「まぎらすこと」。さらに「広辞苑」では演劇演出用語として「芸術的な深みはなく、専ら見た目だけで客を驚かせる演出。早替わり、宙乗り、水芸などの類」とある。どうやら「広辞苑」の編者もケレンには冷たい目で見ているようだ。

歌舞伎の世界でもケレンは邪道なものととらえられた時期もあったそうだが、それを復活させたのが猿之助だった。おかげで猿之助は、まわりから「異端児」と非難されたこともあったのではなかったか。
1968年に宙乗りを復活させたのが歌舞伎座ではなく国立劇場だったというのも、当時の歌舞伎界の空気がわかる気がする。しかし、この宙乗りにしたって、江戸時代の元禄のころからやられていることであり、江戸時代の記録に「自分たちの頭の上で、まるで軽業のような切り合いがはじまった」などの記述もあり、大仕掛けの演出にお客さんは拍手喝采を送ったという。

猿之助は復活上演以来、繰り返し「四ノ切」を上演し(もう1つ「ヤマトタケル」も評判だった)、2000年に宙乗りの回数5000回を達成。その偉業はギネスブックにも認定されているという。

猿之助を伯父に持つのが亀治郎亀治郎の父親が4代目段四郎で、その兄が猿之助)。同じ「沢瀉屋(おもだかや)」を受け継ぐものとして、何としても伝承したいと願ったのだろう。

きのうの舞台では、亀治郎は道行では奴さんぽくて、実はキツネとわかってからのセリフはどこか女形っぽい(小狐という役だからか)。しかし、ケレンに入ってからはさすが。猿之助のなみなみならぬ指導ぶりがうかがえて、一気に引き込まれていく。

主人公がパッと瞬間的に舞台中央に現れる“階段の打返し”から始まって、アクロバットのようなキツネの演技に目を見張るとともに、そのキツネの姿から、かえって親を慕う純粋な思いが滲み出てくるようで、観る側の胸を打つ。

亀治郎のアフタートークによれば、いかに人間でなく演技するかが肝要なので、欄間から飛び出てくる場面でも、あれだけ激しい動きをするのだから普通なら心臓がバクバク打って、ハーハーいうはずなのに、息ひとつ乱れず涼しい顔でスッと座る。なぜならキツネという動物だからであり、動物は人間のようにハーハーしたりしない、という理屈だ。
それができるためには、激しい運動のあとに心拍数を下げるなど、猛特訓をしたようだ。

そこまでやるのだから、ケレンとは本当は、芸術的深みのための大切な手段のひとつであるに違いない。

最後は宙乗り。客席上空をキツネの亀治郎が躍るようにして体を動かし、2階席の彼方に消えていくと、桜吹雪が会場中を舞った。お客はもう大満足。「これぞ歌舞伎の醍醐味!」といえる一夜だった。