善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

志の輔らくご ビギン・ザ・ビギン

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土曜日の善福寺公園。曇り。午後から雨の予報だが、すでに蒸し暑い。
恒例の七夕飾り。近所の子どもたち、大人たちの願い事が書かれた短冊はどれもほほえましい。

きのうは銀座で「志の輔らくご ビギン・ザ・ビギン」を聴く。6日公演の2日目で、午後3時開演という中途半端な時間。「あえて1日のうちで1番目立たない中途半端な時間にした。ハネたあとは買い物するなりごはん食べるなりお好きなように」と志の輔

舞台もいつもの落語の会とは雰囲気が違う。
バックと床は、和紙を使ったのだろうか、白と青の渦が巻くような巨大な背景画。出囃子が始まったと思ったら、なかなか出てこない。まるで師匠の談志のよう。

5分ほどしてようやく出てきて、新作落語の「こぶとり爺さん」。いかにも屁理屈をこねる志の輔落語の真骨頂という感じで、おおいに笑わせる。「親の顔」とか、志の輔のこういう話はいつ聴いてもおもしろい。比較的短い話だったが。

ただし、スピーカーがうるさい。前のほうの席の、特設スピーカーの近くに座ったせいか、すぐ目の前にご本人の志の輔がいるのに、声はラジオから聞こえてくるという感じ。これだからホール落語はあんまり好きじゃない。

間に長唄と三味線が入って、2席目は「新釈 猫忠(ねこただ)」
巨大な渦が巻く背景画の前でやってるからか、あるいは志の輔といえば新作落語のイメージがあるからか、いったいいつの時代なのか、まるでわからない。なかなか情景が浮かんでこない。これでは落語ではなく「お話」なのではないか、と思ってしまう。

もちろん話は上手で、おもしろい。でもたとえば小三治の「品川心中」では、品川の様子の今昔から入っていって、江戸の雰囲気・情景がありありと目の前に浮かんできて(見たこともないのに)、落語の世界に入っていけた。
三味線の皮にされた親猫を慕う子猫の演技も、勘三郎の「狐忠信(ただのぶ)」を観ているだけに(「猫忠」は歌舞伎の「狐忠信」を元につくった話。だから「ねこただ」)、もっと猫の雰囲気が出ていればなー、と思ってしまう。

仲入り後の3席目は「しかばねの行方」
東野圭吾の「怪笑小説」という短編小説集の中の「しかばね台分譲住宅」をふくらませた話だといっていたが、これは大いに笑わせてくれた。まさに志の輔ワールド。

落語が終わって、「ふつうなら幕が下りるところですが本日は幕がありませんので」とお辞儀して、奥に引っ込むとき、志の輔の背中に包丁がブスリと刺さっていた。実は「しかばねの行方」のギャグなのだが、これを見ただけでも志の輔のファンになってしまった。

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