善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

カワセミとルーシー・リー

土曜日朝の善福寺公園。下池にまわると、夏の花、夾竹桃が咲いている。

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アシの茂みに瑠璃色の鳥。カワセミだ!
あわててカメラを構えるが、すぐに飛んでいく。
後を追う。アシの先に止まって様子を窺うようにジッとしている。
やがて、池の中に消えていく。久々のカワセミだった。

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きょうはその足で六本木へ。国立新美術館に初めて行く。
ガラス張りの建物で、クネクネした曲線と、円錐のような形が面白い。昔はたしか東大の生産技術研究所があったところ。生産技術といいながら森の中にある感じだったが、いかにも現代チックな風景に一新されていた。

ルーシー・リー展」を見る(6月21日まで)
ルーシー・リーは20世紀を代表する陶芸家の1人。1995年に93歳でこの世を去るまで、斬新な作品を次々と生み出している。

明らかに日本の陶芸とは異質な感じがする。シンプルではあるが、色彩と、造形が美しい。器の皮膚は薄く、不安定(実はそうではないが)なほどにほっそりと立っている。

日本の陶芸だったら、焼き物は土から生まれる、と作者はいうだろう。益子の土で焼くから益子焼であり、九谷の土で焼くから九谷焼なのだろう。だが、きょうの展覧会を見るかぎり、釉薬へのこだわりはかなりありそうだったが、土へのこだわりはあまり感じられなかった。

それは彼女の人生と関係があるかもしれない。ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれたルーシーは、工業美術学校でろくろの面白さに魅了され、作品を作るようになる。やがて国際的な展覧会で数々の賞を受賞し、高い評価を得たという。
しかし、迫りくる戦争の足音とともに亡命を余儀なくされ、1938年ロンドンに居を移すと、以後はイギリスで制作を続けた。

彼女は当時の先鋭的な建築やデザインに共鳴する作品をめざしたという。ロンドンにやってきて最初のころはバーナード・リーチのアドバイスを受けて、どっしりとした感じの作品を作ったりもしたが、結局、自分の作風を貫いた。

山奥にこもり、薪を使った登り窯で焼くのではなく、あえて小ぶりの電気窯で焼くのを好んだというが、そのほうが安定した火力が得られる、という理由だった。
電気窯なら都会の真ん中でも焼き物ができる。都市に生きた陶芸家だったからこそ、土から生まれたとは思えないような「美しい焼き物」をつくりだせたのかもしれない。

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