4月最初の土日を利用して2泊3日で韓国ソウルに行ってきた。
初めての韓国。3月11日の大震災で「どうしようか」とも思ったが、せっかく去年の暮れから計画していたことだから、と決行した。
初めての韓国。3月11日の大震災で「どうしようか」とも思ったが、せっかく去年の暮れから計画していたことだから、と決行した。
朝5時に家を出て、成田エクスプレスは運休なので京成スカイライナーで成田へ。9時半ごろ飛び立ってソウル到着は12時ごろ。近い。機内で映画を見たが、「ツーリスト」は前半までで残りは帰りの便で見ることにした。
一応、ツアーだったが、同行はわれわれ仲間同士3人だけで、あとは申さんという女性の現地ガイドだけ。インチョン空港から車で1時間ほどで都心へ。多少融通もきくようで、予定ではシーラ(新羅)免税店でショッピングのあとホテルに直行、となっているが、国立中央博物館に行きたい、といったら寄ってくれた。
「粉粧灰青沙器」の略称。鉄分の多い鼠色の陶土に白土を化粧掛けし、その上から透明釉を施して焼成したもの。日本では一般に三島・刷毛目などと呼ばれ、古くから茶人に愛されてきた。 14世紀末、釉胎が硬質化しはじめた高麗青磁を母胎とし、粉青象嵌へと移行。その後15世紀初ごろより粉青印花といった白土装飾が行われるようになり、李朝様式を確立していく。その装飾方法は多様でどれも型にとらわれない自由な造形をなし、奔放な中に力強さを感じさせる。15世紀後半に官窯で白磁が作られはじめると粉青刷毛目や粉青鉄絵などが展開し、その後、16世紀末の壬辰の乱を機に衰退していく。
特にすばらしかったのが魚の文様。すぐに連想したのが沖縄の金城次郎の魚文様の焼き物だった。生き生き具合が実に似ているのである。
そういえば、沖縄の焼き物も本土の焼き物も朝鮮の影響を受けているといわれる。金城次郎の作品にも遠く李朝の文様が伝播しているのだろうか。
特にすばらしかったのが魚の文様。すぐに連想したのが沖縄の金城次郎の魚文様の焼き物だった。生き生き具合が実に似ているのである。
そういえば、沖縄の焼き物も本土の焼き物も朝鮮の影響を受けているといわれる。金城次郎の作品にも遠く李朝の文様が伝播しているのだろうか。
その晩は焼肉をしこたま食べる。酒は焼酎。肉はどれも新鮮でおいしかったが、日本の焼肉とさほど違いはないな、という印象を受けた。
インサドンは骨董品店や画廊、紙、毛筆の店なんかが並んでいる通りだが、その途中、磁器の店に入って驚く。美しい作品ばかり。中でも白磁の白さが際立つ。
「朴英淑窯」という店で、こじんまりとした店だが、どの器も逸品ばかり。
「朴英淑窯」という店で、こじんまりとした店だが、どの器も逸品ばかり。
値段を聞くと、目ん玉が飛び出るぐらい高かったので買うのをやめる。
でも、その店を出たあと、どの店の白磁を見ても出るのはため息ばかり。「これは白じゃない!」とつい文句をつけたくなる。ああ、白は単に白にあらず、白は本当は美しい色なんだと初めて気づく。ただし、白く焼こうと思ったって焼けないのが白の難しさなのだろう。
韓国の磁器・陶器のことなんか何も知らないので言い過ぎかもしれないが、こと白磁に関してはあの朴英淑さんという人が一番じゃないか、そう思えるほどだった。
でも、その店を出たあと、どの店の白磁を見ても出るのはため息ばかり。「これは白じゃない!」とつい文句をつけたくなる。ああ、白は単に白にあらず、白は本当は美しい色なんだと初めて気づく。ただし、白く焼こうと思ったって焼けないのが白の難しさなのだろう。
韓国の磁器・陶器のことなんか何も知らないので言い過ぎかもしれないが、こと白磁に関してはあの朴英淑さんという人が一番じゃないか、そう思えるほどだった。
日本に帰って調べたら朴英淑さんは女性の陶芸家で、1947年生まれというから63歳ぐらい。「単なる古陶の写しではなく、現在における最上の白を表現したい」というのが彼女の目標だとか。
帰りに、「見るのはタダだから」ともう1度、店に立ち寄り、しっかりと目に焼き付けてきた。
帰りに、「見るのはタダだから」ともう1度、店に立ち寄り、しっかりと目に焼き付けてきた。
翌日の最終日は地下鉄に乗って海鮮市場、それに李大統領がソウル市長時代に復元したというい清渓川あたりを歩く。海鮮市場はどれも新鮮でおいしそうなものばかり。ただし、朝食を食べたばかりだったので、見るだけ。
帰りは夕方6時半発の便。「いい白磁はムリでも何か陶磁器はないか」と念のため空港の民芸品店をのぞくと、目についたのはやはり白磁だった。朴英淑さんには負けるけど、それに近い白を出していた。値段もまあまあ。茶器のセットなのだろうが、ぐい飲みにも使えそうなので購入。
帰って調べたら作者は張松模という人で、韓国の人間国宝。日本の人間国宝の金城次郎と合同展を開いたこともあるとか。
帰りは夕方6時半発の便。「いい白磁はムリでも何か陶磁器はないか」と念のため空港の民芸品店をのぞくと、目についたのはやはり白磁だった。朴英淑さんには負けるけど、それに近い白を出していた。値段もまあまあ。茶器のセットなのだろうが、ぐい飲みにも使えそうなので購入。
帰って調べたら作者は張松模という人で、韓国の人間国宝。日本の人間国宝の金城次郎と合同展を開いたこともあるとか。
帰りの飛行機の中で「ツーリスト」の続きを見ようと思ったら、なぜかリストになく、「英国王のスピーチ」を見るが、やはり途中で着陸。
ソウルで感じたこと。
若い男女はみんなあか抜けていて、とくに女性の足の長いこと。足が長いからか、せっかちなのか、歩くのがみんな早い。
そういえば日本人はむかし倭人といって、「倭」とは「小さい」の意味もあるから、大陸出身の韓国人に比べて、その血を多少は受け継いでいるはずの日本人はチビ系なのだろう。
若い男女はみんなあか抜けていて、とくに女性の足の長いこと。足が長いからか、せっかちなのか、歩くのがみんな早い。
そういえば日本人はむかし倭人といって、「倭」とは「小さい」の意味もあるから、大陸出身の韓国人に比べて、その血を多少は受け継いでいるはずの日本人はチビ系なのだろう。
クルマの多さにも驚いた。土日というのに街の中心部というか、漢江を渡る橋のあたりは特に渋滞で、なかなか動かない。逆に地下鉄がものすごく発達していて便利で安い。
屋台の食べ物がどれもおいしかった。(どこの国でもそうだが)
李朝時代の遺跡はけっこう見たが、高句麗、百済、新羅時代のものはあまりなさそうだった。ソウルは李朝のころの首都だったからしょうがないかもしれないが。百済時代の遺跡をみたかったらもっと南に行かないといけないのかもしれない。
それに李朝時代の遺跡もかつての大日本帝国支配の時代にずいぶん破壊されたようだ。ガイドの申さんは日本人を前に韓国の歴史を語るとき、かなりいいづらかったのではないか。それぐらい日本は昔、朝鮮にひどいことをした。
商店街を歩くと、大震災に遭った日本を応援する横断幕が目についた。隣国の人びとの心遣いに感謝した。