物語の舞台となるのは韓国・全羅北道の山里の農家。1951年の小正月(韓国ではテボルムというらしい)をはさんだ数日間の話。
朝鮮半島では1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、翌年春ごろには38度線のあたりで膠着状態になったというから、ひとまずは落ち着いたころだろう。
李麗仙演じる老婆ソン・ガンナンは、次男と孫の嫁、ひ孫と暮らしている。孫2人はそれぞれ、韓国軍と北のパルチザンに分かれて参戦。次男とはケンカばかりの毎日だが、ガンナンの望みはひ孫の成長と、戦場にいる2人の孫が家に帰ってきてくれること。しかし、韓国軍の追撃を逃れたパルチザンが村にあらわれ、家族の悲劇が次々と呼び起こされていく…。
朝鮮半島では1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、翌年春ごろには38度線のあたりで膠着状態になったというから、ひとまずは落ち着いたころだろう。
李麗仙演じる老婆ソン・ガンナンは、次男と孫の嫁、ひ孫と暮らしている。孫2人はそれぞれ、韓国軍と北のパルチザンに分かれて参戦。次男とはケンカばかりの毎日だが、ガンナンの望みはひ孫の成長と、戦場にいる2人の孫が家に帰ってきてくれること。しかし、韓国軍の追撃を逃れたパルチザンが村にあらわれ、家族の悲劇が次々と呼び起こされていく…。
李麗仙が出てきたときはビックリ。ホントに年をとっていて(何しろオン歳71歳)、足元が覚束ない。在日2世とはいえ東京生まれだそうだから、べらんめえ口調っぽいセリフ回しのロレツがまわらない感じ。セリフもしばしばつっかえていた。
大丈夫かな?と心配しながら見ていったが、さすが大女優。だんだん自分の世界を紡いでいく。
モノローグのところなんか圧巻で、つぶやくようなセリフがグイグイと胸に迫る。
大丈夫かな?と心配しながら見ていったが、さすが大女優。だんだん自分の世界を紡いでいく。
モノローグのところなんか圧巻で、つぶやくようなセリフがグイグイと胸に迫る。
話としては、業つくババアというか、因業ババアの物語なんだけども、そんな彼女も歴史の重みを背負って生きている。しかも、業つくというか因業だからこそなのかもしれないが、強い愛情を持ちながら、たくましく生きている。
「生きる」の意味を問う芝居、とでもいおうか。
「生きる」の意味を問う芝居、とでもいおうか。
途中、彼女が歌う「アリラン」が感動的。日本人にもなじみ深い「アリラン」だが、われわれが知っているメロディ以外にも「アリラン」はいろんな節回しがあるらしい。
「アリラン」というと、悲しい別れの歌というイメージがあるが、きのうの「アリラン」は力強い歌の響きだった。(韓国語だったので意味はわからないが、前向きの歌のように聞いた)
「アリラン」というと、悲しい別れの歌というイメージがあるが、きのうの「アリラン」は力強い歌の響きだった。(韓国語だったので意味はわからないが、前向きの歌のように聞いた)
南を善、北のパルチザンをニセの義軍と描くあたりなど、作品としてのデキはどこか類型的なところがあり不満が残るが(韓国の作家の作品というからしょうがないのかもしれないが)、李麗仙のモノローグを聞けただけでもよかった。
見ていてフッと井上ひさし作で渡辺美佐子の『化粧』(改作された2幕もののほう)を思い出した。『化粧』は大衆演劇の女座長が楽屋で化粧をしながら下っぱの役者の演技指導をしたり、テレビの取材に応じたりという一人芝居で、やがてかつて捨てた息子と再会することになるが、実はこの物語は、狂気に走った彼女が、解体されることになった芝居小屋の楽屋で孤独に演じる「一人芝居」であった、という物語。
きのうの芝居でも、最後のところで主人公の老婆は狂気に走ったような感じになるが、最後はひ孫と元気に農作業に出かけようとするところで終わっていて、多少、明るい結末となっていた。