善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

スイス・フランスの旅 14

承前。623日のルーヴル美術館の続き。
 
「三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人」
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「学芸たちの集いに導かれる青年」(いずれも14831485年ごろ)
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カルトン(1415年‐1466年以降)「アビニヨンのピエタ(1455年ごろ)
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ピサネロと比較的近い時期の人。ピサネロはイタリア人だが、カルトンはフランス人。
この絵を見ると、ピサネロの絵にみられるような装飾性と写実性の融合を感じる。
カルトン1444年から1466年にかけてイタリア国境に近いプロヴァンスで画家として活躍していたことがわかっているというから、ピサネロを始めとするイタリア絵画の影響も受けているのかもしれない。
 
十字架から降ろされ、弓なりになったキリストと、悲しみをこらえながら祈る聖母の姿が痛々しいピエタ
向かって右側は香油壺を手にしたマグダラのマリア、左側は使徒ヨハネ、左端で手を合わせるのは寄進者といわれる。
 
よく見ると、キリストの傷口から流れる血は涙の滴となっている。これも悲しみの表現なのだろうか。
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上の階から見たガラスのピラミッド。ここが美術館の入口。
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フェルメールの「天文学者」と「レースを編む女」の部分。
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そういえば2カ月ほど前に日本で開催された「フェルメール展」で6点の作品を見ているから、続けて8点の作品を見たことになる。
 
レンブラントダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」(1654年)
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やはりレンブラント「聖マタイと天使」(1661年)
まるで自画像のようにも見えるが・・・。
天使は息子のティトゥスに似ている。
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レンブラントティトゥスの肖像」(1662年)
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レンブラントティトゥスを少年時代から繰り返し描いていて、これは21歳のとき。
しかしティトゥス27歳で亡くなってしまったという。
 
午後1時をすぎて館内で昼食。
ハンバガーとポテトフライ。
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ミロのヴィーナス。
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こうしてじっくり見ると、意外と若い男性っぽく凛々しい顔をしている。
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ミケランジェロの「瀕死の奴隷」
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「抵抗する奴隷」
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ほかにも古代エジプトの出土品や工芸品などもあり、じっくりと見て回ってルーヴル美術館を出たのは午後4時半ごろ。
らせん階段で下におりる。
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結局、7時間ぐらい館内にいたことになる。
おもしろかったけど、疲れた~。
ただし、ぜひとも見たい作品だったダヴィッドの「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」が部屋の工事かなんかで立入禁止で見られなかったのは残念!
ナポレオンは鷲とともにミツバチを紋章に使っていて、ダヴィッドの絵には無数のミツバチが描かれている。一体何匹いるのか、勘定するのが今回の旅の目的の1つでもあったのだが、叶えられなかった。
なぜナポレオンがミツバチを紋章にしたかというと、ミツバチはフランク王国を開いたメロヴィング家のシンボルであり、メロヴィング家の流れを汲むフランスのルイ王朝はフランク王国の伝統を引き継いでいるというのでミツバチをシンボルとした。ナポレオンもまた、王朝の後継者を自任するためミツバチを紋章にしたといわれている。
 
いったん宿に帰って出直して、夕食はビールにワインに唐揚げみたいなのに、ラディッシュ
生のラディッシュが意外とおいしかった。
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ワインがかなり上げ底
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明日はオルセー美術館だ。