善福寺公園めぐり

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ハプスブルク展の女性たち

上野の国立西洋美術館で「日本・オーストリア友好150周年記念」と銘打った「ハプスブルク 600年にわたる帝国コレクションの歴史」を観る。(会期は来年の126日まで)f:id:macchi105:20191126082058j:plain

本展のテーマは副題の通り「歴史」。ハプスブルク家の歴史とそのコレクション蒐集の歴史を順に追っていくが、ベラスケス、デューラーレンブラント、ティントレット、ティツィアーノといった巨匠たちの作品が並んでいた。

 

ハプスブルク家はもともとライン川上流域の豪族として台頭。13世紀末にオーストリアに進出し、勢力を拡大。15世紀以降は神聖ローマ帝国の皇帝を代々世襲。その一方でハプスブルク家オーストリア系とスペイン系に分裂したのちには、スペイン系は南アメリカ、アフリカ、アジアに領土を拡大して「日の沈まない帝国」の名をほしいままにする。

オーストリア系の女帝マリア・テレジア16人もの子どもを産んで政略結婚を行い、十一女マリー・アントワネットはフランス国王ルイ16世の妻となるもフランス革命で断頭台の露と消えたのは有名。

いずれにしろ第一次世界大戦(1918)に終焉を迎えるまで、数百年に渡り広大な帝国を築き続けたヨーロッパ随一の名門一族という。

今回の「ハプスブルク展」は一族によってつくられ、1891年に開館したウィーン美術史美術館の協力により、絵画を中心として武具、工芸品、タペストリー、版画など約100点を紹介している。

たしか2011年にプラハとウィーンを旅したときウィーン美術史美術館にも行っているから、見た作品もあったかもしれないが、何せ、だいぶ前のことなので忘れている。

 

有名なのはベラスケスの「青いドレスの王女マルガリータテレサ」だが、ほかにも目につくものがいくつかあった。

中でも気になったのがカルロ・ドルチの2つの作品。

カルロ・ドルチは17世紀半ばにフィレンツェで活躍した画家。

オーストリア大公女クラウディア・フェリツィタス」(1672)は、今回見たほかの肖像画の数々とはちょっと異質の雰囲気がある。女性の表情がどことなく憂いを含んでいるようだし、群青色っぽい色彩が独特だ。

クラウディア・フェリツィタスは神聖ロール帝国皇帝レオポルト1世の2番目の妻となった人。レオポルト1世の最初の妻は、ベラスケスが「青いドレスの王女マルガリータテレサ」で描いたところのマルガリータテレサ。しかし彼女は6人の子どもを産んだのち21歳で亡くなってしまう。そのあとに王妃となったクラウディア・フェリツィタスも、やはり結婚して3年あまりのちの1676年、結核のため亡くなる。享年わずか22。子どもも2人いたというがいずれも夭折している。この絵が描かれたのは亡くなる4年ほど前だから、まだ18歳ぐらいのとき。しかも結婚前。なのにすでに薄幸の雰囲気が絵にあらわれているようだ。

先妻のマルガリータテレサは、幼いころから11歳年上のレオポルト1世のもとに嫁ぐことが決まっていて、「青いドレスの王女マルガリータテレサ」は許嫁に彼女の成長ぶりを伝えるべく描かれたものだという。とすると、カルロ・ドルチの「オーストリア大公女クラウディア・フェリツィタス」も、結婚前の彼女の姿をレオポルト1世に伝えるべく描かれたものなのだろう。

 

もう1つ、「聖母子」(166070年ごろ)

聖母マリアの美しいこと!

カルロ・ドルチという画家を知らなかったので、あとで調べたらいくつもの聖母子を描いていて、国立西洋美術館は彼が描いた「悲しみの聖母」(1650年)という作品を所蔵している。

 

ヤン・トマスの「神聖ローマ皇帝オポルト1世と皇妃マルガリータテレサ宮中晩餐会」(1666年)もおもしろかった。

オポルト1世が最初の妻であるマルガリータテレサと開いた宮中晩餐会

参加者はみんな仮装してテーブルについていて、どこか漫画チック。ざっと勘定したら50人ぐらいいたが、どの顔も生き生きとしていて、楽しそう。

本展にはないが、ヤン・トマスの作品には「芝居の衣裳をつけた皇帝レオポルト1世」なんてものあるらしいから、レオポルト1世自身、仮装した、り芝居をしたりするのが好きだったようだ。

それにしては、美しい妻を2人も若くして死なせてしまうなんて。

ちなみにレオポルト1世は65歳まで生きている。

さらにちなみにレオポルト1世の3番目の妻がエレオノーレ・マグダレーネで、この人は10人の子どもを産んで、皇位継承に貢献する。いかに王妃とは“産む機械”(かつての厚労大臣の言)であったことか。

子どもの1人がハプスブルク家最後の男系男子である神聖ローマ帝国皇帝カール6世。マリア・テレジアの父となる人だ。