善福寺公園めぐり

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伊賀越道中双六のお谷に涙

国立劇場開場50終年記念3月歌舞伎公演「通し狂言 伊賀越道中双六」を観る。
土曜日の18日、いつも平日は圧倒的に女性が多いが、土曜日とあって男性客も目立つ。客席は満員(少なくとも1階は)。


平成26年12月の国立劇場公演の再演。
「伊賀越道中双六」は「沼津の場」が有名でよくその場面だけ抜き出して上演されるが、前回も今回も「沼津」をカットした通し狂言

特に中心となるのは「岡崎の場」だが、昔から義太夫狂言の名場面といわれながら戦後の上演は2回しかなかったが、前回、国立で44年ぶりに上演され、2年ぶりの再演。
「岡崎の場」では、仇討ち成就のため主人公が赤ん坊のわが子を刺し殺すという痛ましい場面があり、それでなかなか上演されなかったのかもしれない。

しかし、今回、かなり大幅に脚色が行われたおかげで、とてもわかりやすい舞台になった気がする。
これまで主人公の唐木政右衛門(吉右衛門)など男中心の物語で、女性は添え物でしかないイメージがあったが(少なくとも私的には)、今回の舞台を見て、むしろ女性が主役であると思った。

ことに政右衛門の妻、お谷(雀右衛門)の存在である。
降りしきる雪の中、赤ん坊を抱いたお谷は、政右衛門がいるとは知らず岡崎の幸兵衛の家の軒下までやってきて、寒さの上に癪を起こし、一夜の宿を頼む。しかし、お谷と知って夫の政右衛門は驚き、隠していた自分の素性をバラされまいと知らんぷりする。
寒さに凍えながらのお谷のセリフが聞かせる。

氷のようなこの肌で寝苦しいは道理じゃわいの。ことさら癪で乳は張らず、雪に凍え雨に打たるるつらさは骨に堪ゆれども、旦那殿や弟が、敵を尋ねる辛抱は、まだまだこんなことではあるまいに、その艱難に比べては、雪はおろか剣の上にも寝るのがせめてもの女房の役。
気は張りつめてもこの癪の、重るにつけては2人の身に、疲れの病が起こりはせぬか、万一悲しい頼りなど聞いたら、わしゃ何としょう・・・・。
頼みあぐるは観音様、弟夫の武運長久、わが子の命息災延命。未練なことじゃが私も、この子を夫に渡すまでは生きていたい生きていたい、死にとうない

それでも夫を思いやる、何という悲痛な心の叫びだろう。

そして仇討ち成就のためとはいえ、夫に殺されたわが子を見て、駆け寄って死骸をかき寄せ、お谷のセリフ。

コレ巳之助、ものいうてたも、母じゃわいの母じゃわいの。夕べまでも今朝までも、憂いつらいその中にも、てうちしたり芸尽くし、父御によう似た顔見せて自慢しようしと楽しんだもの。
逢うとそのまま刺し殺す、惨たらしい父様を恨むにも恨まれぬ。前生にどんな罪をして侍の子には生まれしぞ。こんなことなら宣告のとき、母が死んだから憂き目は見まい。仏のお慈悲のあるならば今一度行き帰り、乳房を吸うてくれよかし

涙なしには聞けないセリフだった。
雀右衛門の演技がすばらしかった。

菊之助の和田志津馬にホレた幸兵衛の娘、お袖の米吉もかわいかった。