善福寺公園めぐり

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ジーンときた六代目時蔵襲名口上

東京・銀座の歌舞伎座「六月大歌舞伎」は「初代中村萬壽と六代目中村時蔵襲名披露、五代目中村梅枝初舞台」で、昼の部の六代目中村時蔵襲名披露狂言「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)三笠山御殿」ほかを観る。

まずは川村花菱作の「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」。

出演は中村獅童尾上菊之助中村歌六ほか。

アメリカの小説家、O・ヘンリーの「二十年後」という作品を翻案したもので、1933年(昭和8年)に初演され、その年に映画にもなっている。

 

舞台は江戸。幼馴染の正太郎(中村獅童)と牙次郎(尾上菊之助)。2人は偶然の再会を喜ぶが、互いの懐から財布を抜き取ってスリを働いてしまったことを嘆き、互いに堅気となって真面目に生きようと誓い合う。

10年後に浅草・聖天さまの森で再会を約束するが、ちょうど10年がたって、弟のように慕う牙次郎を思って板前としてこつこつと働いて金を蓄えていた正太郎は、悪辣な手段で金を強請ろうとする昔馴染みの男を殺してしまい、百両の賞金首がかかる凶状持ちとなって江戸へ。一方の牙次郎は、岡っ引きの下っぱとして働いていて、凶状持ちが正太郎とは手知らず、捕まえて百両をもらって正太郎と分け合おうと十手を持って出かけていくが・・・。

 

初演のとき、正太郎を演じたのは6代目尾上菊五郎、牙次郎は初代中村吉右衛門

今回は、獅童が正太郎で、菊之助は牙次郎。格としては菊之助の方が上だが、豪胆な感じの正太郎とドジで間の抜けた感じの牙次郎となると、5歳年上であもある獅童が正太郎で、菊之助は牙次郎というのが役柄的には合っていたのだろう。

 

続く「時鳥花有里」は、「義経千本桜」より源義経の旅路を描いた所作事。源義経中村又五郎、その家臣・鷲尾三郎市川染五郎。ほかに傀儡師種吉役で中村種之助白拍子伏屋役で尾上左近白拍子帚木役で中村児太郎白拍子園原役で中村米吉白拍子三芳野役で片岡孝太郎が出演。

 

昼の部の最後にいよいよ六代目時蔵の襲名披露狂言「妹背山婦女庭訓」より「三笠山御殿」。

新萬壽、新時蔵、新梅枝の襲を寿ぐ祝幕。

萬壽と小中高で同窓だったという日本画家、千住博氏がデザインを手がけ、高さ約7m、幅約32mの大きさの幕にオレンジがかった赤色の地に力強く流れ落ちる滝が描かれていて、金色のローマ字で3人の名前が刻まれていた。

 

出演は、杉酒屋の娘お三輪を梅枝改め時蔵、お三輪が恋い慕う烏帽子折求女実は藤原淡海を萬壽、ほかに尾上松緑、中無知中村七之助など。

お三輪は女形の大役であり、新時蔵が初役で演じた。葵太夫義太夫が情感たっぷりに響きわたる。

 

飛鳥時代の「大化の改新」を描くのが本作で、これに架空の話が混ぜ込んであるのが歌舞伎らしいところ。

三輪山のふもとに住む酒屋の娘お三輪は、隣に住む美男子といい仲となるが、実はこの男は藤原鎌足の息子・藤原淡海で、朝廷の乗っ取りを企む蘇我入鹿の追及から逃れるため名前を偽って潜んでいた。淡海には橘姫という恋人がいて、橘姫に会うため淡海が御殿に向かうと、お三輪も愛しい人に会いたい一心であとを追っていく。

本作では入鹿は超人的なパワーを持つ恐るべき“妖怪”として登場していて、退治するには嫉妬に狂った女の血が必要というわけで、その血の提供者となるのがお三輪の運命だった。

彼女は淡海を追って御殿にたどり着くと、官女らにいじめられたりしながら、橘姫と結ばれようとする淡海への嫉妬の炎を燃やしに燃やし、ついには潜んでいた鎌足の家来に殺されてしまう。彼女の生き血をもらった家来は、「汝が命を捨てることで生き血が手に入り、入鹿を滅ぼすことができる。それでこそあっぱれな淡海さまの奥方」と勝手なことをいって、それを聞いてお三輪は安心して死んでいく、という物語。

 

淡海を追って御殿にたどり着いたお三輪が途方に暮れているときに出会うのが豆腐買おむらで、演じるのは片岡仁左衛門。新梅枝演じるおむらの娘おひろの手を引き仁左衛門が登場すると、芝居を一時中断し、時蔵の襲名披露と梅枝の初舞台を紹介する口上が行われた。

この日の舞台で一番ジーンとしたのがこのとき。仁左衛門の心優しい口上を聞いて、思わず涙が出てきちゃった。

「六代目さんはゆくゆく歌舞伎界を背負って立つ女形さんになられると思います」との仁左衛門の言葉に、熱烈な拍手が巻き起こった。

また劇中では、御殿に迷い込んだお三輪をいじめる官女の役として、中村歌六中村又五郎中村錦之助中村獅童中村歌昇中村種之助中村隼人、さらに新時蔵の弟・中村萬太郎が登場。とても贅沢なキャスティングだったが、全員、本名が“小川さん”の親戚同士で、みんなして新時蔵の誕生を祝い、励まし、歌舞伎界を盛り上げていこうとしているんだなーと、感慨深いものがあった。