善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

自分が住む土地の記憶と未来 中島京子「うらはぐさ風土記」

中島京子「うらはぐさ風土記」(集英社)を読む。

肩の力を抜いたエッセーふうの読みやすい小説。最後のほうはドラマチックになって、ストンと胸に落ちるものがあった。

アメリカ・カリフォルニア州の私立大学で日本語を教えていた52歳の沙希(さき)は、8歳下の夫、バートと離婚し、日本語学科の閉鎖で仕事も失った。

そんな折、東京にあって武蔵野の面影を残す「うらはぐさ」にある母校の大学から2年間の任期で教員の話が舞い込み、帰国する。

伯父が2年前まで住んでいた「うらはぐさ」の古い一軒家で、30年ぶりの東京暮らしが始まるが、そこで出会ったのは、伯父の友人で庭仕事に詳しい76歳の秋葉原さんや、沙希の勤務する大学の学生で不可解な敬語を操るマーシー、その親友で足袋シューズをこよなく愛する陸上部のエース・パティなどのちょっと変わってるけど楽しい面々。

人と人とのゆるやかなつながりとともに、彼女がすごす街の過去と現在、そして未来への希望が、庭で採れる野菜なんかを使った手づくり料理の味とともに綴られていく。

 

「うらはぐさ」はあくまで架空の地名。しかし、読み進むうち、どこがモデルになっているかがするするとわかっていく。何と、本ブログの筆者が毎日散歩する善福寺公園とさほど離れていないところではないか。

彼女が日本で勤務することになった大学とは、JR西荻窪駅から歩いて10分ぐらいの杉並区善福寺にある東京女子大学。なぜこの大学とわかったかというと、本書の作者が同校の出身者であることもあるが、小説の中で、この大学にある戦前につくられた講堂を設計したアメリカの建築家は、太平洋戦争中に米軍から頼まれて日本の木造の建物を再現したが、それは米軍が投下した焼夷弾で日本の街がどれだけ燃えるかをテストするためのものだった、というエピソードが出てくる。

その建築家こそ、東京女子大の礼拝堂を設計したアメリカの建築家、アントニン・レーモンドだった。

彼は帝国ホテルの設計などにも携わっていて、戦前・戦後を合わせて44年間、日本で多くの著名な建物を設計。「日本近代建築の父」ともいわれた。それなのに戦争中のアメリカ軍の無差別爆撃(東京大空襲では10万人もの命が奪われた)に協力したことに、自伝では日本への愛情と戦争の早期終結への願いという矛盾に対する苦渋の心境があったと綴っているが、実は彼には建築家以外にもうひとつ別の顔があったことが明らかとなっている。

国立公文書館に保存されている彼についてのファイルによると、レーモンドはかつて米陸軍の諜報部に所属していて、初来日した1919年の時点ですでに米陸軍から諜報活動の使命を帯びていたのだという。

「日本近代建築の父」は実はアメリカのスパイでもあったわけで、戦争が引き起こす「狂気」にレーモンドも引き込まれていたといえる。

 

本書では、大学近くの駅前にあるヤキトリ屋の「布袋(ほてい)」という店が登場するが、西荻窪駅近くの「戎(えびす)」をモデルにしているのは間違いない。

主人公の沙希が大学1年のときにこの店に初めて行ったときのことを思い出すくだりで、彼女が行く数年前までは女の客は入れなかったと聞いた、と書かれているが、まさしく戎は最初のころは南口だけで、もつ焼き専門の女人禁制の店だった。「女性も入れる戎をつくって」との要望があり、北口にも店ができたという。

5年に一度開催される流鏑馬を見に「裏葉草八幡宮」に行くくだりがあるが、5年に一度流鏑馬を開催する神社といえば、杉並区善福寺にある井草八幡宮であり、ひょっとして作者は、「うらはぐさ」という架空の地名も、「井草」という実在の地名から連想したのかもしれない。

ただし、作者は「うらはぐさ」を西荻窪や善福寺など特定の場所ではなく架空の街にしたかったようで、西荻周辺とともに練馬あたりも含めた武蔵野のあたりをイメージしていて、主人公が住む「うらはぐさ」は1973年までは米軍の土地だったところであり、戦前までは日本陸軍の飛行場があってここから特攻機が飛び立ったというエピソードを紹介している。

作者がイメージした「うらはぐさ」の場所とは、杉並区に隣接する練馬区に1947年から1973年まで存在していた「グラントハイツ」と呼ばれるアメリカ空軍の家族宿舎のことで、今は返還されて「光が丘」となっている。

戦前は帝都防衛というので飛行場が建設され、終戦間際には特攻隊の訓練基地となったのも事実だ。小説でも描いているように、特攻隊は鹿児島の知覧とか、遠い場所での話ではなくて、東京の、人々が暮している場所の近くから飛んで行ったのであり、戦争の悲劇はごく身近なところにあったのだ。

物語の後半に入って、うらはぐさでは新しい道路拡張計画が進行中で、それに伴って駅近くの再開発計画が持ち上がっているという話が出てる。

これも、実際にJR西荻窪駅に通じる道路を拡張する計画が進行中で、防災や駅へのアクセス向上が理由だが、高度経済成長期に立てられた半世紀以上前の計画であり、地元では「のんびりした西荻のよさが失われる」と反対の声があがっている。

また、道路拡張をきっかけに駅前の再開発の動きが持ち上がっているのも事実。ヤキトリ屋の戎を始め飲食街の建物も老朽化しているというので、チャンスとばかり老朽化した店舗を取り壊して複合ビルにするなどの動きが起きていて、それどころかすでに地上げが済んでいるというウワサもあり、これにも「西荻らしさを潰すな」と反発する声が出ている。

 

本書を読んでいて思ったのは、作者は架空の話とはいいながら、なぜこれほどまでに、すぐにもそことわかるような場所を舞台にしたのかということだった。

たしかに本書はフィクションなんだけど、作者はただの絵空事にはしたくなかったのではないか。本書では、主人公たちに自分が住んでいる土地は昔はどうだったかを気づかせ、そこから現在を考え、未来にまでつなげようとしている。そのためには、架空とはいいながらリアルな描き方をしたかったのではないだろうか。

主人公の家の庭で見つけた「しのびよる胡瓜」が実はメロンだったり、山椒が採れたり、ミョウガが採れたりして、それを料理して食べるといった話も出てくるが、その土地の恵みは、植えられた過去があって、実りの今があり、来年、再来年と花が咲き実がみのる未来がある。

そういえば本書のタイトルにある「うらはぐさ」はイネ科の植物で、「ふうちそう」とも呼ばれ、「風知草」とも書くらしいが、花言葉は「未来」なんだそうだ。

 

本書は料理の話がおいしく出ていて、それにもそそられた。

特においしそうだったのが柿の葉寿司だった。主人公の沙希の母親の得意料理で、新緑のシーズンになるとつくっていれたという。

柿の葉はきれいに洗って水気を取り、ざるの上に並べる。

荒巻鮭を小さく切って柿の葉の表にのせ、その上に握った酢飯を置いて包み、丸い寿司桶に詰めて蓋をし、蓋の上から本を2、3冊載せる。

手仕事をしている母の脇で、余った寿司飯と鮭の切れ端をつまみ食いするのが沙希は好きだったが、

「明日になるともっとおいしくなるのよ」

必ず母はいい、そしてほんとうにそのとおりになった。

 

本書を読んだあと、本を置いて目を閉じると、彼女のお母さんがつくった柿の葉寿司が浮かんできた。