善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ツバキはなぜ仰向けに落ちるか

けさ(火曜日)公園内を散歩していて、昨夜は雨が降って強い風も吹いたからだろうか、ツバキの花がポトリポトリといくつも落ちているのを見た。

似たような花で間違えやすいサザンカとの違いとしてよく知られていることだが、サザンカは花びらが1枚1枚独立しているのでハラハラとばらけて散るが、ツバキは花びらが根元でつながり筒型になっているので散るときは花ごとポトリと落ちる。

しかし、けさ見て注目したのは花の落ち方だ。

どれも花びらを上に、仰向けになって落ちている。

この仰向けのツバキに科学的興味を抱いた人がいた。

物理学者で俳人でもある寺田寅彦1878年~1935年)だ。

彼はツバキの花の落下について研究し、論文も書いている。

なぜツバキの花の落ち方に興味を持ったかというと、彼の師である夏目漱石の次の句がそのきっかけであるという。

 

落ちざまに虻を伏せたる椿哉

 

漱石は小説家になる前の29歳だった1896(明治29年)年4月、熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)に英語講師として赴任する(のちに教授)が、そのとき五高の生徒だったのが寺田だった。

漱石はイギリスに留学する1900年(明治33年)まで同校の教師をつとめ、寺田は漱石を盟主とする俳句の会をつくったりして漱石の薫陶を受け、生涯の師と仰ぐ。その漱石が五高の教師時代につくったのが「落ちざまに虻を伏せたる椿哉」の句だった。

寺田は五高時代、友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句について論じ合ったと随筆に書き記していて、それから30年ぐらいがたって、漱石の句を実験で調べてみようと思い立つ。

 

寺田は随筆「思い出草」(1934年)の中で次のように書いている。

「この2、3年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察し、また実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた」

寺田によれば、木が高いほど、うつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果が得られた。一方、低い木だと、うつ向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままにうつ向きに落ちつくのが通例で、この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決まる、と述べている。

寺田は、花びらと虻との関係についても検証している。

彼は、実際の落下の様子を観察し、さらに模型をつくってのシミュレーション実験を行ったりして、方程式を書いては調べ、調べては書き直し、その結果、虻が花の芯にしがみつくと重心が移動して反転作用が減じやすくなる、つまり普通は反転して上向きに落ちるツバキだが、虻が取りついたために反転しないまま、下向きに落ちて虻を伏せたと結論している。

なぜ漱石の句をめぐってこんな実験を行ったのかについて、寺田はこうも述べている。

「こんなことは句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末(さまつ)な物理学的考察をすることによって、この句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである」

いかにも物理学者でありかつまた俳人である寺田寅彦らしいものの見方といえるだろう。

 

しかも、寺田の椿の花の落ち方についての研究は、取るに足らないような研究に見えて、実はいろいろな点から連想を働かせてくれる研究だ、と宇宙物理学者の池内了氏(彼は寺田寅彦についての評論やエッセイなども手がけている)は講演で述べていて、こちらも興味深い。

池内氏によれば、寺田は虻によってツバキの花の重心が変化することを明らかにした。ということはつまり、ごくごく小さな変化でも、非周期運動を引き起こすということを見い出したものであり、彼は、ごく微小な変化であっても大きな変化をもたらし不規則運動になってしまうという「カオス」を連想しているのだという。

また、ツバキがポトリと落ちるとき、ランダムにバタバタと落ちるのではなく、いくつかがそろってバサッと落ちたり、少し間があって落ちたり、非周期的な落ち方をしていることを寺田は観察によって確かめていて、地震における余震の頻度分布と似ているのではないかと考えたという。

ツバキの花の落ち方の研究のあと、寺田は、余震の擬周期的な頻度分布について研究し、地震のモデルに発展させているという。

 

ある自然現象を目撃して、そこから連想を広げていくことの大切さを、池内氏はいっている。

その連想が生み出すものは、俳句であり、また科学的な発見でもある。自然とともに生きる私たちは、詩人の目も科学者の目も、両方の目を持っているのだろう。