善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「コロンビアーナ」「愛を歌う花」

スペイン・カタルーニャの赤ワイン「サン・ヴァレンティン・ガルナッチャ(SAN VALENTIN GARNACHA)2021」

(写真はこのあとパエリア)

生産者はトーレスで、ガルナッチャはスペインを代表する赤ワイン用ブドウ品種。

トーレスのワインというと「サングレ・デ・トロ」の牛のマスコットが有名だが、このワインにはかわいらしい天使のマスコットがついている。

まろやかな舌触りでやわらかなタンニンの味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ・フランス合作の映画「コロンビアーナ」。

2011年の作品。

原題「COLOMBIANA」

監督オリヴィエ・メガトン、出演ゾーイ・サルダナ、ジョルディ・モリャ、レニー・ジェームズマイケル・ヴァルタンアマンドラ・ステンバーグほか。

家族を殺された少女が殺し屋として成長し、単身復讐に挑むバイオレンス・アクション映画。「ニキータ」「レオン」のリュック・ベッソン監督が製作・脚本を担当。

 

1992年、コロンビア。マフィアの一員である父親を持つ9歳の少女カトレア(アマンドラ・ステンバーグ)は、マフィアのボスが送り込んだ刺客たちに両親を惨殺され、ただ一人、決死の逃走を経て米国に渡り、シカゴに住む叔父のもとを訪ねる。カトレアは両親を殺した連中への復讐を誓い、叔父に自分を一流の暗殺者にしてくれと頼む。

15年後、凄腕の暗殺者となったカトレア(ゾーイ・サルダナ)。彼女はひとりまたひとりと復讐していくが、コロンビアのマフィアに命を狙われる一方、FBIからも追われる・・・。

 

少女時代のカトレアの9歳とは思えない運動能力に驚かされるが、凄腕の殺し屋となった24歳のカトレアの俊敏な動きも見事。何しろコロンビアマフィアと真正面から対決し、彼女を追う警察やFBIまでも翻弄する。俊敏さだけでなく腕っぷしでも男どもに負けず、悪者をバッタバッタと倒していく。

コロンビアでは当時(今もか知れないが)、麻薬の製造・売買を一手に行う麻薬カルテルが存在していて、麻薬組織は軍や警察をも巻き込んで互いに甘い汁を吸っていた。コロンビアでつくられた麻薬の多くは、マイアミやフロリダなど経由してアメリカに流れ込んでいたという。

そればかりでなく、アメリカの対外謀略・情報機関であるCIAも背後で暗躍していて、彼女の復讐の相手である麻薬組織のボスはCIAに守られていた。

CIAは世界の各地で反米勢力を一掃するため保守派の親米勢力に肩入れしていて、その中には麻薬組織も含まれている。“反米”の名のもとに、結果的に麻薬の蔓延にも手を貸しているのだ。

そんな裏の実態も暴かれているから、女殺し屋の活躍に胸のすく思いとなった。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していた韓国映画「愛を歌う花」。

2016年の作品。

原題「解語花」

監督パク・フンシク、出演ハン・ヒョジュ、ユ・ヨンソク、チョン・ウヒほか。

日本の植民地支配下の朝鮮を舞台に、時代に翻弄されながらも歌と愛に生涯をささげた妓生(キーセン)たちを描いたドラマ。

 

美貌と優れた歌唱力から最高の歌姫と称されるソユル(ハン・ヒョジュ)と、心に響く天性の歌声を持つヨニ(チョン・ウヒ)。幼なじみの親友同士である2人は京城(現在のソウル)にある妓生養成学校の同期からも羨望を受ける存在だった。

作曲家のユヌ(ユ・ヨンソク)はソユルの恋人で、民衆歌謡として作曲した「朝鮮の心」を彼女に歌わせたいと考えていた。しかし、ソユルは韓国の伝統的な音楽「正歌」を歌っていて、民衆が好むような歌謡曲は得意ではなかった。

そこにあらわれたのがヨニだった。彼女の歌声を聞いたユヌは、ヨニにこそ「朝鮮の心」を歌わせたいと思うようになる。ヨニの歌声に魅了されて、やがては彼女と親密になっていくユヌ。それを見て、ソユルはユニへの嫉妬心を燃え上がらせていく・・・。

 

原題はハングルだが漢字だと「解語花(かいごか)」。人の言葉を理解する花のことで、中国の玄宗皇帝が楊貴妃を称していったとの故事から美人にたとえられるが、本作では美しさと賢さ・強さを持つ女性という意味か。

妓生(キーセン)は、元来は李氏朝鮮時代以前の朝鮮において、諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露し、性的奉仕などをするために準備された奴婢の身分の女性のことをいうそうだ。妓生養成のための学校ができたのも李氏朝鮮の時代で、平壤と京城に開設され15~20歳の女子を対象に妓生の育成を行ったという。

そこでの教育は、宴などでの歌や踊りの習得のほか、座を盛り上げるための漢詩など学問の勉強もあったろうが、そこで育てられた妓生は官僚や軍人たちへの性的奉仕、つまり慰安婦などどしても利用されるようになっていったという。

 

そんな時代の妓生の世界の愛と嫉妬を描くのが本作だが、見ていて、というより聴いていて引き込まれたのが、ソユルが歌った「正歌」だった。

宴席などのため妓生が習得する声楽は大きく分けると「歌」「詞」「調」「謡」の4つがあるという。「歌」は楽器の伴奏がつく歌曲、「詞」はやや長い詩を歌う歌詞(歌辞)、「調」はそれをより簡素化した詩調、「謡」は俗謡(民謡)を指す。

李氏朝鮮の時代、宮廷には「正楽」と呼ばれる雅びな音楽があり、「歌」「詞」「調」は「正楽」として位置づけられ「正歌(チョンガ)」と呼ばれた。

 

現代の韓国に「正歌」を歌う若い女性歌手がいる。

ジー・ミナ(池玟兒)という人で、韓国の国家無形文化財第30号(歌曲)履修者の資格を持つ。日本でいったら「人間国宝」ということだろうか。

彼女の歌をインターネットで聴いた。

モンゴルのホーミーのような、日本の雅楽のようなゆったりとした響きだった。

コブシをきかせるところは日本の民謡のようにも聞こえてきて、極めてゆっくり歌うところは「江差追分」を思わせる。

「正歌」は、たった4行の詩でも10分以上かけて歌われるのだという。高音や低音が息長く歌われ、長く続く母音に深いヴィブラート、つまりコブシをきかせる。

まさしく「江差追分」ではないか。

江差追分」の源流は、信州・小諸の「小室節」にさかのぼるといわれている。「小室節」が越後に伝わって「越後追分」に変化し、さらに北前船に乗って江差に運ばれ「江差追分」になったという。

では「小室節」はどこから来たか?

その源流はモンゴルとの説がある。

モンゴルには「小室節」ととてもよく似たメロディーがあるそうで、このメロディーが日本に伝わって「小室節」となり、日本各地に散らばって追分節となって歌われるようになったのだという。

それだけではない。モンゴルのメロディーはユーラシア大陸を西へ西へと伝わっていき、ハンガリーにまで伝播していったのだとか。

江差追分」のルーツがモンゴルにあるのだとしたら、モンゴルから朝鮮に伝わり、そこで生まれた妓生の音楽が日本に伝わって「江差追分」になったのではないか。

映画を見て、そんな妄想がふくらんだのだった。