善福寺公園めぐり

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女優・寺島しのぶ出演の「文七元結物語」

東京・東銀座の歌舞伎座で「錦秋十月大歌舞伎」昼の部の「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」「文七元結物語(ぶんしちもっといものがたり)」を観る。

天竺徳兵衛韓噺」は妖術使いの徳兵衛が活躍する鶴屋南北作の奇想天外の物語。

ガマの妖術を授けられた徳兵衛が、大ガマに乗って大屋根の上に現れ、屋敷を押しつぶし逃げる「屋台崩し」が迫力満点。

出演は天竺徳兵衛・尾上松緑、吉岡宗観・中村又五郎ほか。

 

しかし、この日一番の必見の舞台は、大ガマより、映画監督・山田洋次の脚本・演出による「文七元結物語」。

幕末から明治にかけて活躍した落語家の三遊亭圓朝が口演した人情噺「文七元結」は、歌舞伎でも「人情噺文七元結」として愛されてきた人気作。尾上菊五郎や、亡くなった中村勘三郎などが得意にしてきた。

今回は、山田監督の新たな構想によって脚本・演出を一新。歌舞伎の古典作品とはまた違った魅力を放つ「文七元結物語」となった。

そして何といっても話題となったのが、男性が女形として女性の役も演じる“男だけの世界”である歌舞伎に、その不文律を破って女性が主役級で出演していること。

出演は、左官長兵衛に中村獅童、そして長兵衛女房お兼に尾上菊五郎の長女、寺島しのぶ、近江屋手代文七に坂東新悟、長兵衛娘お久に中村玉太郎、家主甚八片岡亀蔵角海老女将お駒に片岡孝太郎、近江屋卯兵衛に坂東彌十郎ほか。

女形も含めて男ばかりの中に紅一点で寺島しのぶが出演している。

 

舞台は江戸。左官の長兵衛は腕の立つ職人だが、大の博打好きで貧乏暮らし。女房のお兼とは喧嘩が絶えない。そんな家の苦境を見かねた娘のお久は、吉原に身を売って借金返済の金を工面しようと遊廓・角海老を訪ねる。

その孝行心に胸を打たれた角海老の女将お駒は、お久のためにも心を入れ替えるように諭し、長兵衛に50両の金を貸し与える。

娘の思いとお駒の情けにすっかり目が覚めた長兵衛だったが、その帰り道、大川端に身投げをしようとしている若者、文七と出会うと・・・。

 

芝居の始まりは場内真っ暗。花道七三のスッポンから長兵衛の娘お久が浮かび上がる。スポットライトに照らされ、心細さいっぱいの様子でお久が見上げ先には、舞台中央に享楽で賑わう角海老の店構え。

そのシーンを見ただけでもう、ウルッときてしまう。

落語の「文七元結」を何度も聴いているから、17歳のお久は、父親の借金を返すために身を売る決心をしてし吉原までやってきたんだなと、早くも同情の気持ちが起こってしまうのだ。

 

ウデはいいのにちょっと情けない長兵衛と、義理の娘だからこそ愛をそそぎたいと思うお兼とのやりとりが見どころ。寺島しのぶ女形の役者たちに囲まれて演技していても、まるで違和感なく、ごく自然に見えた。

それは、寺島しのぶの歌舞伎への溶け込み方がうまかったのか、女形たちの演技がいかにも女らしかったからなのか。

江戸の市井に生きる人々の心の機微を描いた笑いあり涙ありの心温まる人情話で、ほろりとしっぱなしの1時間半だった。

 

柱を多用した現代ふうの舞台美術が斬新だった。

美術を担当した金井勇一郎は、歌舞伎・文楽の大道具の製作を担当する金井大道具の四代目社長さん。

もともと歌舞伎の大道具は小屋づきの仕事だったのが、江戸日本橋の宮大工をしていた長谷川勘兵衛という人が1650年代から専門の大道具師として独立し、長谷川の屋号で仕事をしていて、その長谷川からのれん分けする形で創業したのが金井大道具。

三代目だった父親が亡くなったため跡を継いで社長となったが、東京理科大学建築学科出身というから、もともと建築を勉強してきた人。

蜷川幸雄の歌舞伎初演出作品「NINAGAWA十二夜」でアールヌーボーのデザインや巨大な鏡を取り入れ、伝統の歌舞伎美術を革新したり、中村勘三郎と現代演劇の演出家である串田和美が組んだ「平成中村座」のプロジェクトにも参加して仮設劇場をつくったり、伝統的な舞台大道具の世界に新風を吹き込んでいる人だそうだ。

 

何よりこの舞台で注目すべきは、女優の寺島しのぶが主役級で出演していること。

何しろこれまで歌舞伎座の本舞台には、子役の出演はあっても、メインキャストとして大人の女性が上がったことはなかったという。

実際には、1962年5月の11代目市川團十郎襲名披露興行で、團十郎の妹で当時49歳の3代目市川翠扇が「團十郎娘」に出演しているから、61年ぶりということになる。しかし、「團十郎娘」は踊りが中心なので、1時間半という本格ドラマへの女性の出演は史上初といえるかもしれない。

実は歌舞伎座での「文七元結」には、1993年に2代目松本白鸚(当時は9代目松本幸四郎)の次女である松たか子がお久役で出演しているが、高校1年生の16歳のときだった。このときの長兵衛は5代目勘九郎(のちの勘三郎)、お兼は2代目澤村藤十郎角海老女将お駒は5代目坂東玉三郎

また、大人の女優の歌舞伎出演では藤間紫などの例はあるが、それは新橋演舞場とか博多座などに限られていた。歌舞伎の“殿堂”である歌舞伎座の本公演、月に一度の「大歌舞伎」で女性が主役級を演じるのは前代未聞の一大事だという。

 

これまでの歌舞伎座での「文七元結」の歴史を見ても、長兵衛・17代目勘三郎にお兼・2代目芝鶴(1959年、1971年)、長兵衛・17代目勘三郎にお兼・4代目雀右衛門(1968年、1981年)、長兵衛・2代目松緑にお兼・7代目芝翫(1978年)、長兵衛・7代目菊五郎にお兼・6代目田之助(1999年)、長兵衛・7代目菊五郎にお兼・5代目時蔵(2009年、2015年)、長兵衛・7代目菊五郎にお兼・4代目雀右衛門と、女形のトップスターたちがお兼を演じている。

 

きら星の如く女形の俳優がいるのに、なぜ寺島しのぶかというと、一説によれば、先ごろ起こった猿之助の事件以来歌舞伎界には逆風が吹いていて、それを払拭すべく、新しい風を吹かせて歌舞伎の人気を盛り上げるため大人の女優の登場となったという話がある。

寺島しのぶは歌舞伎界の大看板である菊五郎の娘であり、歌舞伎界と深い縁がある。それに、本人は物心ついたころから歌舞伎役者になりたかったが、女性であるがゆえになれなかったことに悔しい思いを抱いてきた、という話もよく知られている。

それに、今回、「文七元結」の演出を引き受けたのは部外者の立場の山田洋次監督。親会社の松竹の映画監督であり、これまでも「シネマ歌舞伎」で「文七元結」など歌舞伎の舞台公演をスクリーンに映し出す作品の監督をしてきた経緯もあり、まるで縁がないわけでもない。

山田監督の“ご指名”という形で女優を出演させるなら、女形たちのメンツを潰すことにもならないと思ったのではないか。

 

もうひとつ、さきごろ13代目を襲名し、次代の歌舞伎界を背負うであろう市川團十郎も、“歌舞伎改革”のため女優の登用を期待しているのではないか、との話もある。

彼は海老蔵時代の2017年、自身が主演をつとめた実験的な舞台、六本木歌舞伎「座頭市」で、寺島しのぶに相手役として出演してもらい、これにより“女性の歌舞伎役者”の門戸が開かれた、とまでいわれている。

團十郎は長女の市川ぼたんを積極的に歌舞伎座の舞台に立たせている。

2022年12月の歌舞伎座「十二月大歌舞伎」夜の部では「團十郎娘」に11歳のぼたんが出演。

1962年5月の11代目市川團十郎襲名披露興行での3代目市川翠扇の「團十郎娘」を踏襲した形になっている。

 

今回の寺島しのぶ歌舞伎座出演には、女形の役者たちもきっとびっくりしたことだろう。

角海老の女将役の片岡孝太郎は、歌舞伎座の稽古場の控室に、いつもは出ない「男性用更衣室」と「女性用更衣室」の表示があって新鮮だった、とブログに書いている。

ひょっとして、一瞬、どっちに入ったらいいか戸惑ったのかもしれないが・・・。

今後、歌舞伎界では、女形ではなく女優の出演がまた実現するのだろうか?