善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ラダックの旅 その1 女性参加が多い理由は?

6月25日(日)から7月2日(日)までの8日間、インド最北の地、ラダックを旅行してきた。

「ラダックがおもしろい」という話は何年も前に聞いていて、本当は3年前のちょうど今ごろの時期に行くはずだった。ところが、コロナが蔓延して世界中で大問題となった時期と重なり、ツアーを企画した西遊旅行が催行を中止したため、行くことができなかった。

そのリベンジの旅が今回の「天空のチベット ラダック」ツアーだ。

なぜ西遊旅行かというと、ラダックはインド独立の1947年以降、パキスタンと国境を接するカシミール地方ということもあって、長い間外国人の立ち入りが禁止されていた。立ち入りが可能になったのは1974年のことであり、西遊旅行はその翌年からラダックを含むカシミール地方への日本初のツアー旅行を企画していて、実績があると思ったからだ。

旅の仲間は10人。夫婦は2組で、あとの6人は一人参加。そのうち5人は女性。つまり10人のうち7人は女性で、男性はたったの3人。

インドの最北の地で、標高3000~4000mの山岳地帯、ホテルでは満足に温水のシャワーも浴びられず、道中の青空トイレは当たり前という秘境の色合いの強いところへ行くのに、女性の参加者の方が多いというのはどういうワケなのか。

それにラダック地方は今も隣国中国との国境紛争が解決しておらず、2020年にはインド軍と中国軍が衝突し少なくとも24人の兵士が死亡したという。

そんなところに敢えて旅行しようというのは、それだけ好奇心の強い女性が増えたということなのだろう(参加者の中には、ご主人が「汚いところや青空トイレはゴメン」と一緒に行くのを断り、1人できたという人もいた)。

 

かくいう私にとってラダックに行こうとする理由は何だろうか?

そもそもラダックとはどんなところかというと、インドとはいっても1年中蒸し暑そうで人口爆発のインドの一般的なイメージとはまるで異なり、インド最北部にある平均標高3500mを超える夏は涼しく冬は雪と氷に閉ざされる山岳地帯。

世界第1位のエベレストを擁するヒマラヤ山脈と、世界第2位のK2を擁するカラコルム山脈に挟まれていて、かつてはラダック王国という独立したチベット仏教の王国が存在していた。

標高5000mを超える山々に囲まれているだけに平地がほとんどない上に、森林限界を超えているためか荒涼とした茶褐色の大地が広がっている。乾いた土地に恵みをもたらしてくれるのがインダス川

ラダック地方の面積は日本の5分の1ほどもあるという。しかし、人口はわずか27万人ほどで、日本の100分の1ほどの人口密度だ。だから中心都市のレーはにぎわっているものの、そこをはずれれば極端な過疎となる。

そのかわり、峻険な山々に囲まれているだけに外界とは隔絶され、それゆえに古い時代のチベット仏教の影響が今なお色濃く残っているといわれる。

何より私が興味を持ったのは、ここには東西文明の融合があると思ったからだ。

ラダックには「峠を越えて」という意味があるそうだが、もともとは「低地の国」という意味のマルユルという地名で呼ばれていたという。

もともとここにはダルド族と呼ばれる人々が住んでいたが、8世紀ごろにチベット吐蕃(とばん)王国がラダックを支配するようになってからチベット系の民族がラダックに流入して住み着くようになり、人種の融合も進んでいった。

ラダックに独自の王国が築かれたのは10世紀の終りごろで、中央チベットでの政変に敗れたキデ・ニマゴン王が、わずかな騎兵とともに西チベットに逃れ、やがてラダック、グゲ、ザンスカールといった西チベット全土を征服し、ラダック王国を築いた。こうしてラダックの地にチベット仏教がもたらされた。

「低地の国」あるいは「「峠を越えて」という地名の由来にもあるように、ラダックの中心都市レーは東西南北を結ぶ交通の要衝として栄えてきた。東西はチベット中央アジアを結ぶ街道であり、南北はインドと中国、シルクロードの都市を結ぶ商業の道だった。いわば“もう1つのシルクロード”がラダックを通っていたのだ。

 

シルクロードの始まりは紀元前2世紀ごろといわれていて、東西の交易品や文化が行き来したといわれているが、それ以前からの東西文化の融合があった。

それは、マケドニア王国のアレクサンドロス大王による東方遠征によるものだ。今から2300年以上前の紀元前4世紀ごろ、日本では稲作が始まり弥生時代の幕が開けたころ、アレクサンドロス大王の遠征軍は東へ東へと進んでいって、インド北部にまで到達し、その後引き返していった。アレクサンドロス大王の東方遠征により、ギリシア文化とオリエント文化の融合が図られ、誕生したのがヘレニズム文化だった。

ヘレニズム文化はラダックにまで及び、そこで東西文明の出会いと融合があったのではないか?

その証拠を見たい!というのがラダックに行く理由の1つだった。

 

さて、いよいよ成田空港から出発。

添乗員同行のツアーなので、参加メンバーの10人にプラスして、成田空港から往復を共にしてくれる若い男性の添乗員が1人(この人が若いのに気配りもしっかり、行動は迅速、かゆいところに手が届く添乗員さんで、道中大いに助かった。いろんな質問に対してもわからないことはちゃんと調べて答えてくれた。ツアー旅行はやっぱりこうでなきゃ)

コロナが5類に移行したこともあって、空港での規制は一切なし。これまで求められてきたワクチン接種の証明書などの提出も不要になり、マスクをしている人も少数派になりつつある。出国審査も顔認証により自動化されてスピーディーに。ただし、出国のスタンプを押してくれないのがちょっとさみしい。

 

デリーからの到着便が遅れて、成田発のエアインディア307便は1時間遅れの6月25日12時30分ごろ成田空港を出発。

1時間遅れの飛行機がようやく到着したところ。

インドの首都デリーへの直行便で、デリー空港へのランディングは17時40分ごろ。時差は日本より3時間半の遅れで、飛行時間およそ9時間の空の旅。

 

空港到着後、たった10人だけど大型バスが迎えにきてくれてデリー市内のホテルへ。

何しろラダックには陸路で行ったら大変な時間がかかる。飛行機で行くしかないのだが(飛行時間は1時間半ほど)、空港があるレーは標高3500mのところにあり、軍事空港を兼ねているためか午前中しか飛ばない。

このため、ひとまずデリーに1泊して翌朝ラダックに飛行機で向かう予定だ。

空港を出てバスを待っていると野良犬があらわれた。

インドに限らず東南アジアは野良犬が多い。だいたいが昼間はノンビリと町を徘徊していたり眠っていたりするので、人に危害をくわえることはない。

 

ムクドリに似た鳥もやってきた。

クチバシが黄色くて、目尻もオレンジに近い黄色。

インドハッカ(印度八哥)というムクドリの仲間で、インドを始め中東や東南アジアに生息する鳥という。

 

われわれが泊まったホテル。

ホテルのレストランで夕食。

ところが、このホテルは酒類を置いてないと聞いて愕然とする。

空港に出迎えてくれた地元のガイドさんがビールを買ってきてくれたので、食後、ホテルの部屋で乾杯。

しかし、添乗員さんからはさらに衝撃の知らせ。

「ラダックのホテルにも酒類はありません。ラダックは3000~4000mの高所なのでアルコールはお控えください」

確かに高山病対策のためには飲み過ぎはいけないとは思っていたが、まったく酒が飲めないとは・・・。

覚悟を決めて1日目を終える。