善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

スミレ咲き、ミツガシワ咲く

金曜日朝の善福寺公園は晴れ。朝から気温が高めだ。

 

上池では、サクラらしいメスのカワセミ

少しずつ場所を移動しながらエサをねらっていた。

 

アオサギが顔をうずめて眠っている。

あの長い首を上手に丸めている。

 

下池にまわると、ジョウビタキのメス。

こちらでも、せわしなく枝を移動しながらエサをねらっていた。

 

遠くの枝の先にモズがとまっていて、すぐに飛び去っていった。

春になってもう山に帰っちゃったかと思っていたが、まだ残っているのがいるのだろう。

 

ウグイスはあちこちでホーホケキョと鳴いている。

遠くの木の枝にとまって鳴いているのかなと思ったら、ヨシの林の中をホーホケキョとさえずりながら移動していく。

一瞬だけ姿を見せたところ。

さえずっているのでノドがふくらんでいるのがわかる。

エサを探しながら移動中のときはチャッチャッという地鳴きだけかというとそうでもないらしい。

エサを探しつつ、メスにもアピールして“恋の歌”を歌っているのだろうか。

 

白い飾り羽のゴイサギ

 

シジュウカラエナガなどの小鳥の群れがソメイヨシノの枝をめぐっている。

花の中から顔を出したシジュウカラ

彼らは別に花の蜜を吸うわけではない。

枝に隠れている虫かなんかを探している。

小さい虫をゲットしたところ。

 

エナガもすばしっこく移動していた。

 

再び上池に戻ると、ボート乗り場付近にオスのカワセミ

ここは三郎のテリトリーで、ここ何日も三郎の姿を見てなくて、どこいったのかと心配してたんだが、三郎が戻ってきたのか、それとも反対側をテリトリーとする文二がここまでやってきたのか?

 

足元でスミレが咲いていた。

スミレの仲間は世界に広く分布しているが、日本列島には世界の半数近い約250種が自生しているといわれていて、その分布率は世界一。日本は世界に誇るスミレ王国ともいえるのだそうだ。

万葉の時代から自生していて、山部赤人が詠んだ歌。

 

春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける

 

すみれを摘みにやってきたけれど、あまりの懐かしさに帰るのを忘れて一晩野辺に寝てしまったよ、という意味だろうか。

次は松尾芭蕉の有名な句。

 

山路きて何やらゆかしすみれ草

 

日本人の心をとらえてはなさない、そんなスミレの語源がおもしろい。

日本国語大辞典」によれば、「和名は『すみいれ(墨入れ)』の略で、花の形が墨壺に似ているところからこの名がある」となっている。

墨壺とは建築現場で使う工具の一種で、壺には墨が入っていて、糸車を使って墨を含んだ糸をぴんと張り、糸の先についたピンを材木に刺して糸をはじくと、材木上に真っ直ぐの線を引くことができる。

墨壺説は江戸時代からあり、牧野富太郎も「牧野日本植物図鑑」(1940年)の中で「和名のスミレはすみいれの略にしてその花の形が大工の用いる墨壺に似ているゆえ、いうなり」と記している。

スミレを見て墨壺(墨入れ)を連想するなんて、昔の人の発想力はスゴイ。

しかし、これには異論もあって、ネット上には「墨壺説は牧野の著名さもあって広く一般に流布しているが、定説とはいえない」との指摘があり、中には「スミレは万葉の時代からあるが、その時代に墨壺なんかあったのか?」と首をかしげる声もある。

だが、万葉の時代に墨壺があったのは間違いない。

墨壺はすでに古代中国の時代からあり、紀元前の春秋戦国時代あたりから使われていたといわれる。

日本で建設の際に墨壺が使われたであろうもっとも古い建物は、まさしく万葉の時代、推古15年(607年)に完成した奈良・法隆寺だ。法隆寺に使われている木材には墨壺を使った形跡が残されているという。

残念ながらそのときに使用された墨壺は残ってはいないが、正倉院には日本に現存する最も古い墨壺が保管されている。

象嵌装飾の墨壷「銀平脱龍船墨斗」がそれだ。

船形の墨池に龍の頭がついていることからこの名がついていて、長さ29・6×高さ11・7×船の幅9・4㎝。ただし、かなり装飾的なものなので実際に工事の際に使われたものではなく、大仏殿の上棟式にでも用いられたものではあるまいか、といわれている。

「銀平脱龍船墨斗」の読みは「ぎんへいだつりゅうせんのぼくと」となっていて、「すみいれ(墨入れ)」とは違う。しかし、「斗」はもともと水を汲むために使う「ひしゃく」のことで、「器」を意味するから、「墨斗」を「墨入れ」と読み替えても不思議ではない。

いずれにしろあの時代の人たちは墨壺を知っていて、もし「墨入れ」とも呼んでいたのなら、そこからスミレと名づけたというのはうなずける話だ。

 

池のほとりではミツガシワ(三ツ柏)が咲き出した。

主に寒い地域の湖沼や湿地などで見られるが、暖地でも点々と分布している。

なぜなら今は暖地でもかつて氷河期のころがあり、そのころ自生していたミツガシワが今も命をつなぎ、「残存植物」として生き残っているからだ。

つまり“氷河期の生き残りの植物”がミツガシワというわけだ。

有名なのは京都市の深泥池(みどろがいけ)や東京・練馬区三宝寺池に自生するミツガシワで、いずれも水生植物群として国の天然記念物に指定されている。