善福寺公園めぐり

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数学者訪問 輝数遇数 PARTⅡ

現代数学社刊「数学者訪問 輝数遇数(きすうぐうすう)PARTⅡ」を読む。

写真・河野裕昭、文・内村直之・亀井哲治郎・里田明美・冨永星・長谷川聖治・吉田宇一。

 

京都市にある現代数学社は主に数学の専門書などを出版し、数学を通じて社会に貢献することをめざす出版社。

専門書だけでなく「知識の大衆化」を志して月刊雑誌の「現代数学」を発行しているが、1968年5月の創刊で、54年の歴史を持っているという。

同誌では、各大学などで活躍中の数学者の人となりを写真と文で紹介する「数学者訪問」を連載していて、それを一冊にまとめたのが本書。2年前に出版された「輝数遇数 PARTⅠ」に続く単行本化第2弾だ。

 

今回登場している数学者は次の人々。

金子昌信、小嶋泉、千葉逸人、重川一郎、木村芳文、砂田利一、佐々田槙子、平岡裕章、加藤文元、俣野博、小林亮、雪江明彦、西郷甲矢人、ジャック・ガリグ、西浦廉政、中島さち子、正宗淳、伊藤哲史、舟木直久、若山正人、三松佳彦、大島利雄、芳沢光雄(敬称略)。

いずれも、「現代数学」2017年3月号から19年3月号までに掲載された数学者たちだ。

 

本書を読んで、というか写真を見ていて、オヤ?と気づいたことがあった。

真理を探究しているゆえか、みなさんの表情がとても生き生きしているのはいうまでもないが、ハゲている人がとても少ないことだ。デブに至っては皆無だ。

まあデブは日ごろの精進で何とかなるにしても、ハゲというのは何をやったって防ぎようがない。それなのに数学者にハゲが少ないのはどういうわけか?

登場しているみなさんがまだ若いということもあるだろうが・・・。

それで気になって、日本を代表する数学者のの写真を改めて見てみたら、やっぱりハゲが少ない、というより偉大な数学者にハゲはいない。

 

岡潔(1901~78年)は髪の毛フサフサだし、体もヒョロ~っとしている。

ほかにも広中平祐(31年~)、小平邦彦(1915~97年)いずれもフサフサ。

森重文(1951年~)は多少生え際が後退しているが、これは前頭葉を盛んに使っているためかもしれない。

数学の超難問「ABC予想」を証明し、「世紀の大偉業」と讃えられた京都大学数理解析研究所教授の望月新一(1969年~)。やっぱり黒々としている。

テレビでおなじみの秋山仁(1946年~)。あり余る髪の毛をしている。

よく知ってる人で少しハゲてるかなと思える人といえば藤原正彦(1943年~)。しかし、彼にしてもやはり前頭葉を酷使したのか生え際からの後退タイプだ。

 

歴史上の人物はどうか。

フェルマーの定理のピエール・ド・フェルマー(1607?~1665年)。肖像画を見る限りフサフサだ。

パスカル(1623~1662年)、ニュートン(1642~1727年)いずれもフサフサ。

もっとも、中世のころは貴族も一般の人もみんなかつらかぶっていた(しょっちゅう風呂に入れないのでケジラミ対策のため自毛は短くして長髪のかつらで代用していた)というから、かつらでごまかしている可能性もあるが、肖像画を見る限りは自毛のようだ。

この時代に日本の関孝和(生年不詳~1708年)もいるが、この人の場合はもともと武士なので月代(さかやき)を剃っている。したがって肖像画はあまり参考にならない(ちなみに、なぜ江戸時代以前の男子は月代を剃っていたかというと、兜をかぶるとき蒸れるという理由で剃っていたんだそうだ)。

 

ぐっと後代になって、ポアンカレ予想のアンリ・ポアンカレ(1854~1912年)は、額が広く見えるがハゲではない。

フィールズ賞の提唱者でもあるジョン・チャールズ・フィールズ(1863~1932年)も同じ。

バートランド・ラッセル(1872~1970年)なんか豊かな白髪をたなびかせていた。

 

それなら文学者はどうかというと――。

坪内逍遥(1859~1935年)は見事なハゲ。

森鴎外(1862~1922年)も晩年はかなりハゲてる。

幸田露伴(1867~1947年)、永井荷風(1879~1959年)も同じ。

島崎藤村(1872~1943年)、志賀直哉(1883~1971年)、谷崎潤一郎(1886~1965年)いずれもしかり。

武者小路実篤(1885~1976年)、井伏鱒二(1898~1993年)に至っては完ハゲだ。

 

それなのに数学者たちはなぜみなさん、髪の毛フサフサなのだろうか?

理系・文系で違いがあって、数学的思考をすると髪にまで栄養が行き届くのだろうか?

髪の毛フサフサの遺伝子を親から受け継いだゆえに数学者になったのだろうか?

疑問が次々に湧いてきて髪の毛をかきむしりたくなる。