善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「レナードの朝」ほか

アルゼンチンの赤ワイン「プリヴァーダ(PRIVADA)2018」

(写真はこのあと豚のオレンジマーマレード焼き、付け合わせはタケノコ焼き)f:id:macchi105:20220410164839j:plain

創業120年の老舗ワイナリー、ボデガ・ノートンのワイン。

メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、マルベックをブレンド

「PRIVADA」とは「プライベート」の意味。もともとオーナーファミリーが親しい友人と楽しむために少量だけつくっていたもので、好評につき?商品化したようだ。

 

ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたアメリカ映画「レナードの朝」。

1990年の作品。

原題「AWAKENINGS」

監督ペニー・マーシャル、出演ロバート・デ・ニーロロビン・ウィリアムスジュリー・カブナーほか。

 

イギリスの神経学者で、のちにコロンビア大学医科大学院教授となったオリバー・サックス医師が自身の扱った患者について記した医療ノンフィクション「レナードの朝」を元にした作品。

第一次世界大戦中に世界的に流行した病気で「嗜眠性脳炎」というのがあった。精神が錯乱状態になったり、昏睡に近い嗜眠と呼ばれる状態になって死に至ることもある病気で、「眠り病」とも呼ばれたという。ウイルスまたは細菌による感染症が疑われ、自己免疫疾患だとする説もあるが、いまだに原因不明。ただし、現在ではまったく見られない病気という。

サックス医師は、病院に入院していた嗜眠性脳炎の患者20人に、開発されたばかりのパーキンソン病向けの薬L‐ドーパ(レボドパ)を投与し、覚醒させることに成功した。しかし、やがて薬に耐性を持つことで効果は薄れて患者は元の状態に戻ってしまったという。

この実話を元に、医者と患者との関係のあるべき姿、医療はどうあるべきかを問うヒューマンドラマが本作。

 

1969年、ブロンクス精神障害で体も自由に動かせない患者たちの病院に医師セイヤー(ロビン・ウィリアムス)が赴任する。セイヤーは、患者たちがボールを受け止める反射神経があるのを発見し、30年間も半こん睡状態のレナード(ロバート・デ・ニーロ)に新薬L‐ドーパによる治療を試みる。ある日レナードは奇跡的に目覚めるが・・・。

 

原題の「AWAKENINGS」とは「目覚め」「覚醒」を意味しているという。

レナードの朝」という邦題もなかなかいい。

この映画のすばらしいところは、医療の主役は治療を受ける患者、この映画ではレナードであることがよくわかる内容になっていることだ。

セイヤー医師の新しい治療法によって、いったんはよくなった患者たちの症状だが、時間が経つうちに次第に効果は薄れ、ひどい副作用があらわれるようになってくる。再び不自由な状態となったレナードは自分の体をセイヤーに見せ、激しくマヒする様子をビデオで記録しろと要求する。そこから新しい治療法を探ってほしいと訴えるのだった。医者と患者が一緒になって病気を治そうとする姿がそこにあった。

 

「患者本位の医療」ということがいわれるようになって久しいが、医療の現場では「インフォームド・コンセント」が当たり前になってきている。

医者が患者に対し、治療についてエビデンスにもとづく正しい情報を伝え、患者は説明を聞いて納得した上で医者と合意することを意味するが、さらにこれから当たり前になっていってほしいのは、「インフォームド・チョイス」だと思う。

インフォームド・コンセント」をより一歩進めて、十分な説明の上で、どんな治療を行うかを患者が自らの意思で選択すること。つまり、自分の体のことは自分で決めるというわけだ。医者はあくまで専門家の立場から患者を支えるのが役目だ。

そうなって初めて「患者本位の医療」が実現し、そうなれば仮に万が一、死に直面するような危機的な状況になっても、うろたえることはなくなるかもしれない。「レナードの朝」のレナードのように。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「グッバイ、リチャード」。

2018年の作品。

監督ウェイン・ロバーツ、出演ジョニー・デップローズマリー・デウィット、ゾーイ・ドゥイッチ、ダニー・ヒューストンほか。

 

末期の肺がんが見つかり、治療すれば1年半、何も治療しなければ余命半年と医者から告げられ、「治療しない」を選んだ大学教授が、いかにして余命をまっとうするかを描いた映画。

 

美しい妻、素直な娘と豪邸に住んで、何不自由なく暮らしてきた大学教授リチャード(ジョニー・デップ)は、医師から突然の余命宣告を受ける。追い打ちをかけるように、娘は自分がレズビアンであることを、妻からは同じ大学の学長との不倫を告白される。死を前に怖いものなしとなった彼は、残りの人生を自分のために謳歌することを決意する。ルールや立場に縛られない新しい生き方はこれまでにない喜びをリチャードに与え、そんな彼の自由な言動は周囲にも影響を及ぼしていくが・・・。

 

どうせ半年後には死ぬとわかったら人間、何をするのか、しようとするのか。

人間って、結局は自分本位なのだろうか、好き勝手に生きようとしたリチャードは、今まで吸ったことのないタバコを吸い、マリファナに走り、学生を引き連れて酒場に行き、行きずりの女性や同性男性とのセックスにふける。まわりの人はそれがウソ偽りのない生き方に見えて、むしろ感動してしまうのだった。

この映画では医療の話はまるで出てこなくて、中年オヤジの“終活物語”は、老人の終活と違って生々しい。完全にうろたえまくっている。黒澤明の「生きる」とはエライ違いだ。時代も違うが。

リチャードは映画の最後に、車に愛犬を乗せて道のない道を突っ走っていくのだが、犬はどうなるんだろう、道連れになるのだろうかと心配になった。

 

民放のBSで放送していたアメリカ映画「恋する人魚たち」

1990年の作品。

原題「MERMAIDS」

監督リチャード・ベンジャミン、出演シェール、ボブ・ホスキンスウィノナ・ライダークリスティーナ・リッチほか。

 

1963年、アメリカ・マサチューセッツ州の小さな町に、母子家庭のフラックス家が移り住んできた。シングルマザーのレイチェル(シェール)は18回もあてどない引っ越しをくり返してきた自由人で、15歳の長女シャーロット(ウィナ・ライダー)はそんな母親に反抗してか、ユダヤ系にもかかわらずカトリックの修道女になるのが夢。水泳選手を目指すやんちゃ盛りの妹ケイト(クリスティーナ・リッチ)は、風呂場でトレーニングの毎日だ。

束縛されることを嫌うレイチェルは、好きな男と出会えてもすぐに別れて引っ越してしまう。今回もさっそく靴屋の店主ルー(ボブ・ホプキンス)といい仲になるが、そんな母親に翻弄されてきたシャーロットも、母のようにはなるまいと誓ったものの年上のハンサムな男に一目惚れしてしまう・・・。

 

身勝手な母と真面目な娘。それでも親子の愛は深く、絆は強いことを教えてくれる映画。

小男で冴えない感じの町の靴屋さん役のボブ・ホプキンスと、彼より背が高く自由奔放な恋多き女性を演じるシェール(世界の歌姫としても知られる)。始めは「何か似合ってないな~」と思いながら見ていくが、やがて違和感がなくなっていく。

2人の演技のうまさなのか、それとも男女の仲とは見た目で判断しちゃだめということか。