きょう8日でオリンピックは終幕。競技はテレビを通じてそれなりに楽しんだ。
中でも初めてオリンピックの競技種目となり注目したのが沖縄発祥の空手だった。
本来、沖縄の空手で重視するのは一対一で戦う組手よりも、形(かた)だった。
「人に打たれず、人を打たず、全てことなきをよしとする」という言葉がある通り、「戦わずして勝つ」というのが沖縄空手の神髄とされるが、その根底には、「日本本土の武士の家では床の間に刀が飾られているが、沖縄では三線を飾る」といわれるように、戦いを好まず文化を愛する風土があるからだろうか。
やたら戦いをしかけるのではなく、ふだんは静かにしている。しかし、襲ってくる敵には容赦しないため、いざというとき備えて日々の修行を怠らない、ゆえに重視されたのが形だった。
空手の形には沖縄の言葉、ウチナーグチが残っているのもおもしろい。
空手女子形の決勝で対戦者2人が演武した形の名前は「チャタンヤラクーサンクー」だったが、「沖縄の読谷村に住む北谷屋良(ちゃたんやら)さんが中国の公相君(くーさんくー)から学んで編み出した形」という意味だそうだ。
形の中には「スーパーリンペイ」というのもあるが、これは「スーパーマーケット」のスーパーでも「超絶すごい」のスーパーでもなく、漢字で書けば「壱百零八手」で、沖縄空手の108の動きを意味しているという。これも、中国から伝わった言葉が訛ってできたウチナーグチだろう。
オリンピックでウチナーグチが生きているのがうれしかった。
陸上の男子3000m障害と女子1500mで、日本の選手が決勝に出場し入賞を果たしたのも画期的なことだった。
世界に比べれば日本人に不得意な種目で、オリンピック出場自体も標準記録に達しないのではと思っていたほどだったが、世界の8位以内に入るなんて、快挙といえる。
しかし、新型コロナが猛威を振るっている現状を考えると、オリンピックはやるべきではなかった。
もともとオリンピックは、ゼウス神に捧げる競技祭が始まりとされ、祝祭だった。
世界中の選手が集まって力や技を競う今日のような形になっても、オリンピックは平和の中でこそ行われるスポーツの祭典、お祭りであることに変わりはない。勝っても負けても喜びを分かち合い、祭りを祝う。
お祭りとなれば気を許し、歓声を上げたくなるのは人情というもので、いくら「コロナ禍だから外に出るな、ジッとしていろ」といったって、そんなの通じるはずはない。
日本は今大会で30個近い金メダルを獲得したと大騒ぎしているが、その一方で、オリンピック期間中だけでも100人を超える人が亡くなり、東京では毎日5千人前後、ということは2日で1万人もの感染者が出るまでになっているのだ。医療の崩壊も現実になってきている。
ところが、「日本は欧米と比べて感染死が少ないし、対策はうまくいっている」と平然といってのける大臣もいる。
「少しぐらい人が死んだり、感染する人が増えたって、全体的に国威高揚につながり、経済が回っていけば、それでよし」
本当に為政者がそう考えているとしたら、恐ろしいことだ。