NHKBSで放送していた日本映画「飢餓海峡」を観る。
1965年の作品。
監督・内田吐夢、脚本・鈴木尚之、撮影・仲沢半次郎、音楽・富田勲。
水上勉の小説を映画化。
1947年(昭和22年)9月、青函連絡船が台風で転覆、多くの犠牲者が出た。
同じ日、北海道岩内町の質屋一家が殺害、放火され、全町を焼きつくす大火事となる。
連絡船の死体は乗客名簿より2人多く、函館警察署の刑事・弓坂(伴淳三郎)は身元不明の死体が岩内の殺人犯3人組のうち2人だと確信し、残る1人を追跡するが…。
モノクロ、183分の完成版。しかし、未公開のままのオリジナル版はもっと長いという。
映画が始まる前に「W106方式」という字幕が出てきて何ぞや?と思うが、この映画のための独特の映像処理法という。
16mmで撮影してこれを35mmに引き延ばす処理を行い、ザラザラとした質感や、ときに逆焼きさせて銅版画のような映像にしたりして、映画の緊迫感を映像でも表現していた。この「W106方式」の映像づくりには「人間の条件」の撮影でも知られる宮島義勇が加わっているとスーパーにあった。
ちなみに「106」という名称は16㎜と監督の名前の「吐夢(とむ)」をかけたんだとか。
映画史に残る傑作映画。
三國連太郎、伴淳もいいが、左幸子の演技が何といってもすばらしい。
この映画での彼女の演技のすばらしさは、のちに石川さゆりの歌にもなっている(作詞・吉岡治、作曲・弦哲也)。
涅槃の響きのような富田勲の音楽もよかった。
このとき富田勲33歳の若さだった。
貧困、つまり飢餓の中で生きる人々が、運命に翻弄され犯す罪と罰、そして純愛。
それは戦後の混乱期の話ではなく、今日のテーマでもある。
映画を見ながら思い起こしたのは野村芳太郎監督の「砂の器」(脚本は橋本忍と山田洋次)だった。同じく刑事もので、貧困(ハンセン病に対する差別も重要なモチーフだが)が生んだ犯罪の物語だった。
ちなみに、ちょっと横道にそれるが映画「砂の器」のクライマックスで音楽会と捜査会議がダブって進行する有名なシーンは、義太夫と人形遣いが分業し合う人形浄瑠璃の文楽がヒントになったと橋本忍は語っている。文楽ファンしてひとこと・・・。
映画「砂の器」は1974年の作品だが、松本清張の原作は水上勉の「飢餓海峡」とほぼ同時代に書かれている。
清張が読売新聞夕刊に「砂の器」を連載したのは1960年5月から61年4月にかけて。
水上勉が「飢餓海峡」を週刊朝日に連載したのは62年1月から同年12月にかけてだった(ただし週刊誌で完結にはならず、その後加筆して63年に単行本で刊行)。
水上勉が社会派作家としての松本清張の影響を多少なりとも受けていのは間違いないだろう。それでも水上勉の「飢餓海峡」は清張の「砂の器」とは違った独自の味わいで、こちらも傑作だった。