善福寺公園めぐり

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NHKスペシャル 松本清張と帝銀事件

NHKスペシャル「未解決事件 松本清張帝銀事件」が2夜連続で放送された。

1日目の第1部はドラマで、翌日の第2部は「74年目の“真相”」と題するドキュメンタリー。

松本清張といえば「点と線」や「砂の器」などの社会派ミステリーの巨匠で、今年(2022年)は没後30年にあたるという。

清張は小説のほかにも古代史のナゾの探求、それに現代史の暗部についても強い感心を持っていて、「日本の黒い霧」や「昭和史発掘」などのノンフィクション作品を残している。

彼は帝銀事件について、当時、日本を支配していたGHQ連合国最高司令官総司令部)による謀略を疑い、1959年に「小説帝銀事件」を発表した。その小説執筆に至る経緯が松本清張大沢たかおが扮するドラマとして描かれているのが第1部で、なかなか骨太で力作だった。

大沢たかおはまるで清張に似てないはずだが、最初は「似てないなー、違うなー」と思いつつ見ていくうちに、ときおり清張そっくりのショットが入ったりして、次第に違和感がなくなっていく。映像の魔術とはこのことか。、

 

帝銀事件終戦から間もない1948年(昭和23年)1月26日、東京・豊島区長崎の帝国銀行(現在の三井住友銀行椎名町支店で起こった強盗殺人事件。

厚生省技官を名乗る男が「近くで集団赤痢が発生したので予防薬を飲んでほしい」といって行員らに液体を飲ませ、12人を殺害。男は現金と小切手を盗んで立ち去る。同年8月21日、画家・平沢貞通が逮捕され、平沢は裁判で無罪を主張するも死刑が確定。その後も事件をめぐる不可解なナゾは残ったままで、1987年(昭和62年)に95歳で獄中死するまで死刑は執行されず、平沢はその間、冤罪であるとして無実を訴え続けた。

 

終戦直後の混乱の中で、国内では数多くの奇怪な事件が起きていた。その1つが帝銀事件であり、翌年の1949年7~8月には下山、三鷹、松川の3つの事件が起こっていて、いずれの事件にも背後にアメリカの諜報機関の存在が浮かび上がっていた。

帝銀事件の真相に迫るうち、松本清張が疑ったのもGHQの関与だった。事件発生直後から、警察が追っていたのは旧陸軍の秘密部隊であった細菌部隊(731部隊)の関係者だったが、なぜか突如、捜査方針を転換し、物的証拠は薄弱なまま平沢を逮捕。取り調べ中の「自供」が決め手となって起訴され、有罪となり死刑が確定してしまった。

清張は、731部隊が追及を逃れたのはGHQの関与があったからとにらみ調査を進めるも、その確証は得られず、「小説帝銀事件」は自分の無力さをつぶやいて終わっている。

 

清張が追いかけたものの、力及ばず挫折してしまった「真相」に迫ったのが第2部のドキュメンタリーだった。

清張の「小説帝銀事件」から60年あまりがたち、当時は不可能だった技術的解明や、そのころは固く口を閉ざしていた関係者の証言などから、浮かび上がってきたのは、やはり731部隊の関係者の存在だ。

そして、膨大な警察資料の分析からは、捜査員たちが追跡していた「別の犯人像」が浮かび上がってきた。それは、731部隊に所属していた「憲兵A」なる人物だったが、「憲兵A」はすでに死亡していて、それ以上、真相を究明することは不可能になっていた。

731部隊に捜査が及ばないように横やりを入れ、報道機関を巧みに操っていたGHQの影も見逃せなかった。

なぜGHQ731部隊をかばったのか。

アメリカを中心とする西側と当時のソ連を中心とする東側との東西冷戦は、すでに第2次世界大戦末期から始まっていた。広島・長崎への原爆投下は、核軍備の拡張競争にもとづく冷戦の始まりともいわれる。

番組でも触れられていたが、一説によれば、GHQというよりアメリカの諜報機関は、ソ連に先駆けて731部隊の研究成果を入手したかったので、その見返りとして731部隊を指揮した石井中将らを免責する一種の司法取引をしたといわれている。

ひょっとしたら帝銀事件の真犯人も、アメリカの謀略機関の庇護のもとにおかれた可能性もある。

戦争の遂行のためにつくられたのが731部隊だったが、戦争とはかくも人を残忍にするものなのか。731部隊には「毒殺班」なるものがあり、人を殺す研究が行われていたというのもゾッとする話だった。

ドラマの中で、清張に扮した大沢たかおが、多くの人の命を一度に奪う犯行に及んだ犯人は、細菌兵器開発のため生きた人間を実験の材料として使うなどした731部隊の関係者である可能性が強いとして、次のように時代背景を語った言葉が印象的だった。

「戦争は人間が人間でなくなる行為だ。その人間性を奪った者は、誰なのか」