善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「レッド・サン」+日の丸

オーストラリアの赤ワイン「ベンチマーク・シラーズ」(BENCHMARK SHIRAZ2018f:id:macchi105:20191211104203j:plain

生産者のグラント・バージは南オーストラリア、バロッサ・ヴァレーの老舗のワイナリー。世界各国のコンクールで数多くの受賞実績を持つオーストラリアのトップ生産者の1つだとか。

赤系果実やブルーベリーの果実味、かすかなタンニンとよく調和した酸がバランスがよい味わい。

 

ついでにその数日前に飲んだのはイタリア・ヴェネトの赤ワイン「テッレディライ・アーチニ・ロッシ(TERREDIRAI ACINI ROSSI2018f:id:macchi105:20191211104225j:plain

生産者のカ・ディ・ライオはイタリア北東部、ヴェネト州(州都は水の都ヴェネツィア)に位置するワイナリー。背の高いブドウ樹を左右に並べ、トンネルのように枝を張らせていくベルッセラと呼ばれる伝統的な方法で栽培したブドウを使用し、香り高いアロマとコクのある味わいのワインを造り出しているんだとか。

飲みやすいワイン。

 

 

ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたフランス・イタリア・スペイン共作の映画「レッド・サン」。

1971年の作品。

 

三船敏郎チャールズ・ブロンソンアラン・ドロン3大スター共演の西部劇。

1870年、日米修好のためにアメリカを訪れていた日本の使節一行は、列車で移動中にリンク(チャールズ・ブロンソン)率いる強盗団に襲撃され、大統領への献上品である宝刀を奪われてしまう。武士の黒田(三船敏郎)は、相棒ゴーシュ(アラン・ドロン)に裏切られたリンクを救い、宝刀の奪還に向かうが…。

監督は007シリーズで知られるテレンス・ヤング

音楽は「アラビアのロレンス」のモーリス・ジャール

 

西部劇にチョンマゲを結った武士が出演するという異色の取り合わせ。

ホンマかいなと思ったが、時は1870年の明治3年。翌71年に米国を訪れた岩倉使節団も団長の岩倉具視はチョンマゲに羽織袴姿だったから時代考証はちゃんとしているみたい。

アメリカ大陸横断鉄道の開通も1869年で、翌70年にミカドからの献上品を列車で運ぶという話のスジに違和感はなかった。

 

それより気になったのは「レッド・サン(Red Sun)」という題名だった。

直訳すれば「赤い太陽」だが、普通には「夕焼け」と解釈される。われわれ日本人だって「赤い太陽」といえば真っ赤なに染まった夕焼けを連想する。

だが、制作者側が意図したのは別の意味で、欧米人は太陽を「黄色」と感じるが日本人は「日の丸」に代表されるように太陽を赤で描くことが多いから、「レッド・サン」は「日本人」を表現しているのだという。

 

ハテ、本当に日本人は太陽を赤い色と感じるのだろうか?

たしかに、子どものころから小学校の絵日記や何かで太陽を描くときは真っ赤っかに描くし、美空ひばりも「真っ赤に燃えた太陽だから真夏の海は恋の季節なの」と歌っている。

「太陽が黄色い」なんていうと、寝不足のボーッとした目で見る太陽なんじゃないかい、と言われかねない。

 

しかし、古来、日本人は太陽を赤色なんぞではなく、さん然と輝く黄金の色として見ていた。だから「日の丸」はホントは黄金色、金の色なのである。

なぜ太陽が黄金色かというと、それが命の源だからだ。金は色ではなく光だといわれる。その輝きに魅せられて、奈良の大仏だってもともとは全身を金色に塗られていた。

日本の神道は太陽信仰を元に発展したと思われるが、延暦 16797)年に完成した『続日本紀』によれば、朝廷の正月元旦の儀式で「日幡・月幡」を用いた記録があり、これが「日の丸」の初見とされている。

この「日の丸」つまり「日幡」は、金塗りの丸柄に三本足のカラスを描いたものといわれている。金塗りの丸柄は太陽をあらわし、カラスは中国に由来する「八咫烏(やたがらす)」。太陽の中に棲む目出度い鳥で、太陽神の使いとされている鳥だ。

今年1022日、皇居で新天皇天皇即位を国の内外に宣明する「即位礼正殿の儀」が行われたが、宮殿の中庭の真ん中に翻っていたのも、太陽をあらわす「日像纛旛(にっしょうとうばん)」だった。赤地に金塗りの丸柄で、丸は太陽をあらわし、金色に塗られていた。

 

それがなぜ、赤い太陽となり、「赤い日の丸」となったのか?

赤い日の丸の起源は源平合戦にさかのぼるという説がある。

ただし日本人にとって赤は紅であり朱だったろう。

源氏と平氏の戦いで、源氏が掲げた旗は白地に紅色(朱色)の丸、一方の平氏が掲げた旗は紅地(朱地)に金色の丸だったというのだ。

一般には源氏は白一色の旗、平氏は紅色一色の旗で、これが紅白合戦の始まりとされるが、実は白地、紅地の中に紅色、金色の丸が描かれていたようだ。

その証拠に、屋島の合戦で源氏方の那須与一が弓で射抜いた平家方の的は、紅地に金丸の扇だったといわれる。

なぜ紅地に金丸かというと、『続日本紀』に記されている日幡のとおりに、天皇の旗は紅地に金丸であり、天皇を守護するという立場の平家は“錦の御旗”に準じて紅地金丸を自軍の旗にも用いたのだろう。

一方、これに対抗して色の配置を逆にしたのが源氏だった。つまり、丸を紅にし、地の色を金ではなく白地にして白地紅丸の旗をはためかせた。

なぜ金ではなく白かというと、金地ではカネがかかる、というわけではなく、陰陽五行説によれば金はすなわち白だったからではないか。

陰陽五行説は中国古代の宇宙観、世界観であり、陰陽説と五行説が結合したもの。日本にも強い影響を与えている。このうち五行説は万物は木・火・土・金・水の五元素によって成り立っていると説き、それぞれの元素には色が割り当てられていて、金は白となっている。

この五行説は日本人の生活の中にも広く浸透していて、七夕で飾る「五色の短冊」、こいのぼりの「五色の吹き流し」などはいい例であり、源氏が金を白としたのもうなずける。

しかし、正式にはやっぱり金地紅丸だったとの説がある。その証拠に金地に紅丸の旗が残っていて、山梨県にある雲峰寺というお寺には後冷泉天皇源頼義に下賜したと伝えられる現存する日本最古とされる「日の丸」が残っており、金地に紅丸だ。伝承によると、天喜4年(1056)に源頼義後冷泉天皇より下賜され、頼義三男の新羅三郎義光から武田家に代々伝わったものといわれている。

後冷泉天皇源頼義(頼義の子孫が源頼朝)も平安時代の人だから、すでにそのころから源氏の旗は金地紅丸だったことになる。

それはともかくも、源平合戦平氏は敗れ源氏が勝利した。このため源氏の「白地紅丸」の旗がのちのち受け継がれるようになったといわれる。

戦国時代に至っても源氏の日の丸は武門の誉れや正義の旗印とされ、天正3年(1575年)の長篠の戦いでは織田信長徳川家康連合軍対武田勝頼軍の両軍ともに日の丸を掲げて戦ったことを示す合戦絵巻が残っている。

徳川家は清和源氏系の末裔ということになっているし、武田家は源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家だから、源氏の旗を使うのは当然かもしれない。

江戸幕府になってからも、幕末に開国する時には公用旗として白地に紅丸の旗を用いており、これが日章旗にも継承されているという。

このように日の丸の歴史を振り返ると、赤い日の丸は太陽の色というより、戦いに勝利した縁起のいい色としての「赤い丸」といえるのではないだろうか。

 

ちなみに、日本の国旗は一般に「日の丸」と呼ばれているが、「国旗及び国歌に関する法律」による正式名称は「日章旗」。日章とは「太陽」を意味していて、法的には日本の太陽は赤い(法律上は紅色)とされているようだ。