今年のアカデミー賞の作品賞、監督賞、撮影賞、脚本賞を受賞した『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を銀座のTOHOシネマズ・シャンテで観る。
夕方4時20分からの回だったが、けっこう空いていた。場所柄か、客は比較的若い人が多かった。
夕方4時20分からの回だったが、けっこう空いていた。場所柄か、客は比較的若い人が多かった。
監督はアレハンドロ・G・イニャリトゥ。
かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡(ふうび)したものの、今では過去の人になってしまったリーガン・トムソン(マイケル・キートン)。ふたたび栄光を手にしようと、自分が脚色を手がけた舞台「愛について語るときに我々の語ること」の上演に再起を懸けていた。
しかし、降板した俳優の代役としてやって来たマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)のほうが話題になり、リーガンの鬱屈は深まっていく。やがて現実と妄想の世界をさまようようになったリーガンは・・・。
かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡(ふうび)したものの、今では過去の人になってしまったリーガン・トムソン(マイケル・キートン)。ふたたび栄光を手にしようと、自分が脚色を手がけた舞台「愛について語るときに我々の語ること」の上演に再起を懸けていた。
しかし、降板した俳優の代役としてやって来たマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)のほうが話題になり、リーガンの鬱屈は深まっていく。やがて現実と妄想の世界をさまようようになったリーガンは・・・。
長まわしの撮影が話題になったが、長まわしどころか、ほとんど全編がワンカットで撮られている。しかし、ほんとはつなぎ合わせているはずで、つなぎ合わせている箇所はどこか?ばかり気になって、なかなか映画の世界に入って行けず、困る。
とにかく映画づくりの技巧はさすがだった。
とにかく映画づくりの技巧はさすがだった。
しかし、映画の中身はというと、よくわからないまま終わった感じ。
劇中、舞台での上演風景が描かれ、かなり重要な役割を持っているが、どんな芝居なのかよくわからない。
実際、モチーフとなった小説があるそうだが(レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』邦訳は村上春樹訳)、その小説を読んでない者にもわからせる工夫が大事だったろうと思う。
劇中、舞台での上演風景が描かれ、かなり重要な役割を持っているが、どんな芝居なのかよくわからない。
実際、モチーフとなった小説があるそうだが(レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』邦訳は村上春樹訳)、その小説を読んでない者にもわからせる工夫が大事だったろうと思う。
最後の方に副題の「無知がもたらす予期せぬ奇跡」が語られて、ナルホドと思うが、奇跡といえるほどの内容があったかどうか。
バックに流れるドラムソロが緊張感を高める。即興演奏の醍醐味。