善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

『かたづの!』が問うもの

中島京子『かたづの!』(集英社)を読む。

直木賞を受賞し、映画にもなった『小さいおうち』の作者の最新作というので手にとる。

新聞の広告によれば、江戸時代に実在した東北・南部藩の女大名の物語というから歴史小説か?
それにしても『かたづの!』って何の意味?といぶかったが、表紙を見て納得。
向こうむき立ち姿の若い女性のかたわらに、一本角のカモシカがいる。片方だけしかないツノ、つまり「片角」という意味だろう。ほかにも裏表紙には河童の絵があり、河童も出てくるに違いない。

読んでみてわかった。この小説はファンタジーだ。

書き出しからして、私(「片角」のこと)が長い眠りから覚めて、壁に6本の軸がかかった部屋に入るシーンが出てくる。それらは覆いがかかっていたが、なぜか1つだけ覆いがはずれたものがあり、それは南蛮渡来の織物であった。織り込まれているのは不思議な絵で、南蛮の美しい婦人が立ち、女官の脇には一角の獣が控えていた。
この情景は明らかに、先ごろというか一昨年、新国立美術館で開催された「貴婦人と一角獣展」に出品された6面の連作タピスリーのことだろう。
それを見て「私」は、ただの一本角ではなく、額から角を生やした一角獣だったころを思い出し、物語が始まる。

どんな話かというと──。
慶長5年(1600年)、ツノを1本しか持たない羚羊(カモシカ)が、八戸南部氏20代当主である直政の妻・袮々(ねね)と出会い、友情を育む。
ところが、平穏な生活に怪しい影が差し込み、城主である夫と幼い嫡男が相次いで不審死する。
背後には、叔父である南部藩主・利直の謀略が―。
東北の地で女性ながら領主となった彼女は、数々の困難にどう立ち向かったのか。 けっして「戦(いくさ)」をせずに家臣と領民を守り抜いた、江戸時代唯一の女大名の一代記。

登場人物は史実にもとづく人たちで、女大名の袮々という人は本当にいたという。
作者がこの小説を書こうと思ったきっかけも、大学時代の恩師のところに遊びに行ったとき、史学の専門家向けのある雑誌をもらって帰りの電車で読んでいると、「女の大名としては、遠野に清心尼がいた」という一行を見つけてそれが小説執筆の動機になった、と本人が語っている。

本文中で主人公の清心様(女大名となった袮々)はいう。
「二度とわたしの大切な者の命を奪わせない」「もう、ただの一人だって死なせない」
そして、イザ戦が始まりそうになるとこんな提案をする。
「どうなのでしょう、みなさま。ここはひとつ丸腰で行って説得してみたらいかがなものか。丸腰で出かけて、相手の言い分を聞いてみてはどうですか」
戦をしないで家臣と領民を守る政治は江戸時代にもあったのだ。
現代にも通じる、この小説のメッセージがここにある気がした。
清心尼(袮々)の生き方を現代人は学ぶべきではないか、本書を読んでそう思った。
今年のNHK大河ドラマは『花燃ゆ』ではなく『清心尼ゆく』のほうがよっぽど時代にマッチしていたかもしない。

今まで読んだ時代物、歴史ものにないおもしろさがあり、おかげで正月三が日、楽しい時間をすごすことができた。正月に本を読むシアワセ。