善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

仏像の歩み 大黒さまは実は・・・

畠中光享『仏像の歩み』(春秋社)を読む。

筆者は日本画家でインド美術の研究者。
「インドをはじめネパール、チベット中央アジアスリランカ、東南アジア各地の仏像と仏教遺跡を40年にわたって現地調査し、その成果を120点におよぶ写真とともに、仏像の美の変遷にスポットをあてて、独自の視点から簡潔なエッセイ風にまとめた仏像の発展史」と本の紹介にある。

知らなかったことがいろいろ書かれてあった。
たとえば、仏像の最初の形はストゥーパつまり仏塔だったという。

釈尊(釈迦のこと)の遺骨を舎利容器に入れ、土饅頭を盛ってストゥーパをつくった。これが仏像の最初だった、と筆者はいう。

「遺骨を祀ったものは決して墓としてつくられた訳ではありません。この世における唯一の釈尊の存在として、釈尊そのものを敬うためにつくられたものです。
(そもそもインドでは輪廻転生が信じられ、亡くなった人の墓をつくる習慣がない。亡くなれば輪廻転生して生まれ変わるのだから、荼毘に付した遺骨に執着しない)
仏陀への敬愛が形となって表現されたのがストゥーパです」

神社の入口にある鳥居。あれはもともと仏教からきたという。
ストゥーパが大きくなると、周囲に仏の聖域であるストゥーパと俗界を分けるための結界である石柵、つまり欄楯(らんじゅん)がつくられ、四方には仏界に入るためのトーラナ(塔門)がつくられる。トーラナはわが国に入ってくると鳥居になり、仏や神への入口としてつくられていきました」

また筆者は、仏像誕生の要因としてギリシャ・ローマの神の影響をあげている。
なるほど、たとえばギリシャの彫刻といえば神の姿だが、みんな人間と同じ姿をしている(というより人間の理想の姿で、中には羽が生えたりもしているのもあるが)。しかも神は1人ではなく、たくさんいる。より身近な存在として神を考えていたのだろうか。

福耳は福相といわれ、もともと釈迦の耳たぶが長いところからきているという。たしかに仏像はどれも耳たぶが長い。しかし、筆者はこういう。
「仏像の耳たぶが長いのは人々が重いイヤリングをつけていたからです。現在でも南インドの人の中には耳たぶが耳の倍の長さくらいの人を見かけます」
何だ、ただの重力のイタズラか。
古代インドの貴族たちは、ことごとく耳たぶに穴を開け、耳輪をつけていたという。もちろんほかにも首輪、腕輪などの装飾品を多数身につけていただろうが、もともと貴族の出の釈迦も、出家前は耳輪をつけていただろうから、耳たぶも長かったのだろう。

もう1つビックリしたのは次の記述。
「(破壊神であるシヴァはやがて創造の役目も担うようになり)シヴァの創造の象徴である男根を表したのが日本の大黒天像です。二つの俵の上に乗り頭に頭巾をしていますが、シルエットで見れば男根になります」
うーむ、大黒さまといえば豊穣の神で福の神、大国主命かなんかかと思ったら、それは神仏習合の姿。豊穣や福とは、まさしく生殖によって生み出されるのだから、男根こそがありがたいものなのかもしれない。

もっと自信を持とおーっと。