善福寺公園めぐり

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蒙古襲来と「安保法制」

服部英雄『蒙古襲来』(山川出版社)を読む。
筆者は九州大学大学院比較社会文化研究院教授。

昔からなぜか「蒙古襲来」に興味があった。2度にわたって日本本土が外国の軍隊の侵略を受けて、それを撃退した事件であるが、勝利の要因が「神風」というのに昔から違和感を持っていた。

元寇の史実を明らかにしようと、さまざまな歴史史料を事細かに分析し、現地も当たって、従来からある“常識”をひっくり返したのが本書。目からウロコの本である。

まず、クビライがなぜ日本侵攻を企てたのかというと、ねらいは火山地帯にある日本特産の硫黄が狙いだったという。硫黄は火薬の材料であり、中国大陸には火山が少なく、したがって硫黄は外国から輸入するしかなかった。

さらに、文永11年の役、弘安4年の役はいずれも神風が吹いて蒙古軍を撃退したというのが通説になっているが、「神風は吹かなかった」と筆者は結論づけている。
まず、文永11年の役は夜中に暴風雨、つまり神風が吹いて蒙古軍は博多湾に到着した翌朝には逃げ帰ったというのが通説で、「夜中に白衣で出現した神兵、つまり神様の兵隊が武器をとって戦って異賊をやぶった」との「神話」まで残っているが、そもそも文永11年の役は冬の戦いであり、台風が来るはずもなく、実際は蒙古軍は7日ほどの戦いの後、勝利できないまま帰っていった。

弘安4年の役は2カ月も続いた戦であり、のちに「神風」とされる閏7月1日の台風による嵐は、蒙古軍だけでなく日本側にも多大な被害を与えた。台風通過のあとも戦闘は続き、次第に日本側が優勢になって蒙古軍は遁走していった。

「神風が吹いた」とする通説の根底には日本は神の国という「神国思想」があるという。
蒙古襲来で「神国思想」の虚構はさらに増幅していった。
筆者によると、歴史に虚構はつきものだが、とりわけ戦争ともなるとそれが顕著になるという。
太平洋戦争時の「連戦連勝」の大本営発表などはまさにその典型的な例だろう。
さらに、こうしてつくられた「神風思想」はのちのちまで悪用され、最大の悲劇は「神風特攻隊ではないか」と筆者は述べている。

筆者によれば「神風」を利用する人々は今もいるのではないか、と「あとがき」で次のように述べている。

神風の政治的利用は鎌倉時代だけではなく、近代にいたるまで続いた。日本の政治にも思想にも歴史にも、影響を与え続けてきた。もしかすれば日本の為政者には、いまでも神風を信じる人たちがいるのではないか。

そういえば「日本は神の国」と平気でいってのける政治家(しかも首相)がいたのはつい最近のことだ。

外国にまで行って戦争できる国にしようとする「安保法制」の推進者もその多くは「神の国」を信じる人たちだろう。
そのウソっぽさを歴史史料の分析から一蹴した意義は大きい。