幻想的というか、複雑な話の展開で、1980年のマリが2010年のマリと電話で話したりして、何だか訳がわからなくなり戸惑い、途中投げ出そうと思うが、何とか読み進む。
が、最終章の「十六歳、私の東京裁判」は圧巻だった。
が、最終章の「十六歳、私の東京裁判」は圧巻だった。
読み終わって、この小説のモチーフは三島由紀夫の『英霊の聲』という小説にあるのではないかと思った。もう1つ、幻想的な描き方(特にヘラジカのところ)は間違いなく宮崎駿の『もののけ姫』の世界だ。三島由紀夫と宮崎駿、なかなかニクい融合だ。
三島由紀夫の『英霊の聲』は本書にも登場していて、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」という一節が出てくる。
『英霊の聲』は二・二六事件で天皇親政を切望して逆に皇軍に討たれた青年将校たちと、第二次世界大戦中の特攻攻撃で死んだ兵士たちの霊が、霊媒の口を借りて語り、天皇が戦後自らの神格を否定したとする「人間宣言」を嘆き呪詛する短編小説。何で天皇は人間になってしまってしまったんですか、と恨み言をいう。
『英霊の聲』は二・二六事件で天皇親政を切望して逆に皇軍に討たれた青年将校たちと、第二次世界大戦中の特攻攻撃で死んだ兵士たちの霊が、霊媒の口を借りて語り、天皇が戦後自らの神格を否定したとする「人間宣言」を嘆き呪詛する短編小説。何で天皇は人間になってしまってしまったんですか、と恨み言をいう。
ディベートの前にこの小説を読んだマリは、「私の心をとらえて離さなかった」ものとしてやはり『英霊の聲』に出てくる「架空」という言葉に注目する。
三島の小説で英霊たちは、天皇の統治した国家と天皇の治世というべきものを「架空(フィクション)」といっている。つまり英霊たちは、天皇が神ではないことを知っていたのではないか?
「知っていて騙され、結果にも裏切られたら、その恨みはどこへやったらいいのか」と『東京プリズン』では述べる。
三島はこう書くのである。
「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆえ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉わざりしか」
たとえ天皇が神である、あるいは神話、というものが架空であったとしても、死んでしまった者のために、その辛くて苦しい架空を護ってくれればいいものを──、とでもいっているのか。
三島の小説で英霊たちは、天皇の統治した国家と天皇の治世というべきものを「架空(フィクション)」といっている。つまり英霊たちは、天皇が神ではないことを知っていたのではないか?
「知っていて騙され、結果にも裏切られたら、その恨みはどこへやったらいいのか」と『東京プリズン』では述べる。
三島はこう書くのである。
「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆえ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉わざりしか」
たとえ天皇が神である、あるいは神話、というものが架空であったとしても、死んでしまった者のために、その辛くて苦しい架空を護ってくれればいいものを──、とでもいっているのか。
神でないと知っていて神であると言いくるめようとすることの罪、ということか?