2014年に出版された小説だが、今年11月、米国で最も権威のある文学賞の1つとされる全米図書賞の翻訳文学部門に選ばれたというので読む。
読んでみたらこの本は意外なことに、天皇制と私たちについて考える本でもあった。
主人公の72歳になる男は、JR上野駅公園口前の上野公園あたりで寝泊まりするホームレスだが、天皇家とゆかりのある“自分史”を持つ。
ゆかりというと大仰だが、今上天皇(現在は上皇)と同じ昭和8年の生まれで、妻の名前は昭和天皇の母、貞明皇后の名前と同じ漢字の節子。息子の誕生日は皇太子(現在の天皇)と同じ昭和35年2月23日であり、息子につけた名前も浩宮徳仁親王から一字をもらって浩一だった。
東京オリンピックの前年、出稼ぎのため上野駅に降り立った男は、やがて息子をなくし、妻も亡くし、居場所を失って上野公園に住むようになる。上野公園は正しくは上野恩賜公園といって、天皇から下賜された公園だった。
しかし、ここは男にとって必ずしも心休まる場所ではなかった。
付近には博物館や美術館などがあってしばしば天皇・皇后の行幸啓がある。天皇、皇后が一緒に外出することを行幸啓といい、天皇単独の場合は行幸。「天子がお出ましになると、そこの人々は食べものを賜ったり税を免ぜられるなど僥倖を得るから」という意味でこう呼ばれるが、戦前の天皇制の産物でありながら、今も生きている言葉だ。
ところが、行幸啓のたびに、その直前になってホームレスが住む「コヤ」は「特別清掃」という名の元に立ち退きを迫られる。ホームレスたちは「特別清掃」を「山狩り」と呼んでいたが、行政や警察は「天皇皇后両陛下に薄汚れたホームレスの姿など見せてはいけない」と彼らを追い立てるのだろう。その中には天皇に親しみを抱いていた男も含まれていた。
天皇を敬愛する自分と、排除される側の自分。その狭間でさまざまな思いがめぐる中、東日本大震災で故郷は津波にのまれ、男は・・・。
この小説を読み終わって、50年以上も前の映画「拝啓天皇陛下様」を思い出してしまった。
無学で貧しいゆえに実社会では辛酸をなめてきたが、軍隊に入るとそこは「みんな天皇陛下の赤子で平等。娑婆と比べれば天国じゃないか」と当時の軍隊を統帥していた天皇を愛し、戦後も苦労を重ねながらも純朴に生きた男の物語。
最後は、酔っぱらって帰る途中に交通事故で即死。「拝啓天皇陛下様、あなたの最後のひとりの赤子がこの夜戦死をいたしました」とスーパーインポーズが入って、エンドとなる。
喜劇映画だったが、最後は悲しい終わり方だった。