善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

立山連峰縦走記 その4 完結編

8月3日(土)朝7時半、室堂より登山開始。
その前に、室堂ターミナルの前にある「玉殿(たまどの)湧水」の水を飲んだらこれがウマイ。甘露とはこのこと。
この水は雄山直下から湧き出ていて、環境省選定の「日本の名水100選」にも選ばれているという。ペットボトルに入れて持っていく。疲れたときに飲むと生き返った気持ちになり、命の水となった。

室堂からゆるやかな登りが続く。途中、何カ所かで雪渓をトラバース。それほど急ではないので、アイゼンがなくても十分に歩けた。
写真は途中で振り返ったところ。
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1時間ほどかけて一ノ越に到着。標高2705m。ここからの眺めがまたすばらしい。
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右のはじに槍ヶ岳が見え、左の雲海の向こうには富士山が見える。

ここから急坂を登っていく。写真で見るとなだらかのようだが、実はかなり急で、しかも最初から最期までガレ場で、浮石が多く歩きづらい。それでも1歩、1歩、登っていく。
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雄山山頂(3003m)は人でいっぱい。地元の小学生たちが遠足に来ていた(富山の子どもはスゴイ!)。韓国からの団体客らしいのもいる。
雄山から見た右に大汝山、左の遠くに劔岳。このあと大汝山、富士の折立、真砂岳を経て、劔岳の手前(別山乗越)から下山する予定。
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立山というのは雄山、大汝山、富士の折立の3つの山の総称だそうで、雄山山頂には神社がある。
山の多い日本は昔から山岳信仰が盛んだが、信仰の対象となった日本三霊山といえば、富士山、石川と岐阜の県境にある白山、そして立山

立山信仰はおそらく仏教伝来以前からあったと思うが、特に立山の場合、火山の噴火によってつくられた山の形や地獄谷などの特異な景観によって、平安時代の中ごろからは地獄信仰と結びつき、日本中の亡霊がここに集まるものと考えられようにもなったという。

立山について記した文献の最古のものは万葉集にあり、奈良時代歌人大伴家持はこう詠んでいる。

立山に 降り置ける雪を常夏に 見れども飽かず 神からならし
立山に降り積もったまま残っている雪をこの夏の間中みているが飽きない。神のものだからだろうか)

ただし原文では「立山」は「多知夜麻」となっていて、古くは「たてやま」ではなく「たちやま」と呼んでいたようだ。(富山や石川の方言で「建物」のことを「たちもん」というが、これと関係があるのだろうか?)

それはともかく、神社には神主さんが常駐していて(夏の間だけだろうが)、500円のお賽銭を出すとお祓いをしてくれ、お神酒が振る舞われる(ほんのちょっぴりだけど)。

山頂には立派な鳥居が立っている。
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登山者がワンサカいるのはこのあたりまでで、そこから先の縦走路はグンと人が少なくなる。多くの人は雄山に登って、来た道を下山していくようだ(そうすると室堂から往復4時間ぐらいの行程になる)。

山頂をすぎたところから雄山山頂を望む。岩の山だ。
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立山には20年ほど前にも登っていて、今思い出すと「雄山までの登りはきついけど、あとは尾根歩きでラクラクだった」という記憶しかない。
それで20年たって「そんなにラクならまた登ろう」と再チャレンジしたのだが、実際に歩いて見ると、雄山まで登りよりもむしろ、ラクラクのはずのその後の尾根歩きの方が過酷だった。若いときと今では感じ方が違うのだろうか?

立山連峰の最高峰、大汝山(3015m)到着は11時ごろ。ここで弁当を広げる。

針のように突き出ている「富士の折立」(2999m)
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雲海の上の稜線を歩いていく。このあたりはチョー気持ちいい。
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途中見つけたお花畑。
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その後、真砂岳(2861m)を経て、別山乗越へ。ところが、途中から標識がはっきりしなくて、一瞬「道に迷ったか?」と思う。ただし、この日はけっこう人が多かったので、すれ違う人に道を聞いて、正しい道とわかる。

別山乗越直下の劔御前小舎から下りに入る。小舎(こや)の入口に張り紙があり、土日は満員らしい。「2畳に3人で寝てもらいます」と書いてあった。

途中、断崖絶壁のところを歩く箇所もあり、高所恐怖症の人は要注意。

しかし、何がつらかったかといって、下山道の雷鳥坂の下りがきつく、つらかった。こちらも最初から最期までガレ場続き。浮石が多くて、つい足をふらつかせる。その上、急な下りだから次第にヒザが痛くなる。
途中、どうにもヒザが痛くて、ツレアイが持ってきた鎮痛消炎剤を塗ると、速効性がありスーッと痛みが消えていく。ワーイと再び元気になって歩き出す。(といっても5分もすればまた痛くなるが、それでも下山後、ヒザの痛みはまったく残らなかったから、現場での応急処置がよかったのかもしれない。これからも持っていこう)

翌日、地元の新聞(北日本新聞)を読んでたら、ちょうどわれわれの後ろを歩いていた60代の男性が、雷鳥坂で浮石を踏んでバランスを崩し、後頭部を打って救急車で運ばれた、というニュースが載っていた。人ごとじゃないと思った。

やっとこさ雷鳥坂を下りきって、雪渓を渡ってキャンプ場に到着。ここから1時間ほどで室堂に着くはずだが、ナント、目の前に再び山がそびえている。
室堂平って起伏が多いところで、室堂に行くには「雷鳥荘」という山荘の前を通らないといけないのだが、その山荘が山の上にあるのだ。
疲れ果てた上に、さらにもう1回山登り。ヒー、フーいいながら登っていく。

実はここに急な登りがあるのは出発前に読んだ昔のガイドブック(20年前に登ったときに買った山渓の本が今も残っていた)に書いてあって、「雷鳥荘経由のコースは意外にアップダウンが激しいから、地獄谷からミクリガ池温泉に出るコースを行くといい」とアドバイスがあったのだが、あいにくこのコースは火山ガスの発生により通行禁止になっていた。

結局、ヒー、フーいいながら登るしかない。
しかし、天は見捨ててなかった。ようやくたどりついたところにあるミクリガ池の美しいこと!
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室堂に着いたのは午後4時半ごろ。
7時半から歩き出して、休憩も含め9時間歩き続けたことになる。
(ちなみにこの日の万歩計は2万7616歩をカウント)

その後はラクチン。
室堂から高原バス、ケーブルカー、電車を乗り継いで富山駅まで戻るのだが、土曜日の、しかも夕方だから満員かと思ったら、そんなことはなかった。
4時45分発の高原バスもケーブルカーも電車もラクに座れた。特に立山駅からの電車はガラガラだった。立山駅までマイカーで来る人が多いのだろうか?

しかし、何よりうれしかったのは1日中晴れていたこと。下山して、北陸地方がこの日、梅雨明けしたと聞いた。
前日まで雨が降ったり止んだりで、3日になると1日晴天。しかも、梅雨明けしたものの、翌日の4日日曜日は再び雨で、その後も2~3日は天気がすぐれなかったという。
まさにピンポイントで晴れた1日だった。一生のウンをこれで使い果たしてしまったのか!?

富山駅到着は夜7時すぎ。
無事下山の祝杯を上げようと、駅前の店を探す。
入口の雰囲気を見て「魚嘉時本店」という店に入ると、オヤジは寡黙でこむずかしそうな顔をしているが、若い店員の男の子は愛想がよく、生ビールに始まって酒を頼む。

まずは戦国の武将・佐々成政の冬の立山越えの故事を寿ぎ「成政」。続いて、そのものズバリの「立山」。
つまみは白エビかき揚げ、トマトサラダ、刺身盛り合わせ、ホタルイカの干したヤツ(100円ライターであぶって食べるのだとか)、高岡コロッケ、その他。〆は白エビ釜飯、氷見うどん
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おまけ。
翌4日、帰路の特急はくたかで食べた駅弁。
北陸本線全線開通100周年記念弁当・富山あじづくし」
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「鱒とブリの押し鮨」
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オシマイ。ご愛読ありがとうございました。