善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

一四一七年、その一冊がすべてを変えた

ティーヴン・グリーンブラッド『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(柏書房)を読む。
2012年のピューリッツアー賞ノンフィクション部門の受賞作。
原題は「The Swerve-how the world became modern」。

今からおよそ600年前の1417年、ある男が南ドイツの修道院の図書館で古い写本を手に取った。男はこの発見にたいそう興奮し、すぐ複製をつくるよう助手に命じた。
その本とは、古代ローマの哲学者レクレティウスが書いた哲学叙事詩『物の本質について』。
男は15世紀イタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニ。
ポッジョが複製した『物の本質について』は当時の人々に大きな影響を与え、その考え方はルネサンスを促進し、ボッティチェッリに霊感を与え、モンテーニュダーウィンアインシュタインの思想を形作った。(訳者の河野純治氏のあとがきより)

レクレティウス(紀元前99年ごろ-紀元前55年)は、彼が生きた時代より300年ほど前に活躍した哲学者エピクロスが説く哲学をわかりやすく説明するため『物の本質について』を著し、詩の形式で歌いあげたのだという。古代において哲学と詩は一体のものだったようだ。

エピクロスは「原子論」を唱えた唯物論者だったという。どんな理屈だったのか?
「電気の歴史イラスト館」というウェブサイトにわかりやすい記述があったので紹介する。

ギリシヤ時代の原子論
2400年前ギリシヤの哲学者デモクリストやエピクロスたちは、物質は細かく分割できない小片にたどり着くと考えました。
彼らはこの小片を分割不可能なものと言う意味でアトモスと名付け、 これが原子の由来です。
原子論者といわれたアトモスの数は無数で、それらがいろいろな組み合わせで結合して多様な物質を作っていると考えていた。
この世のものはすべて、多くのアトモスから出来ており、その間を空虚な空間すなわち真空が占めていると考えていた。
その後ギリシヤの哲学者アリストテレスによって反対され、 地上のあらゆるものは4つの元素(火、水、空気、土)から成るとする4元素説を唱え、星や太陽などの天界は空虚な空間を嫌いエーテルで満たされていると考えていた。
12~13世紀になると錬金術が広くしられるようになり、ヨーロッパで錬金術に対する関心が異常に高まったことから、当時のキリスト教会の最も偉大な聖職者たちも、錬金術に強く関心を持つようになりました。
そして、 これまで排斥されていた錬金術アリストテレス哲学が、神聖な現象の説明に役立つとして、キリスト教世界に受容されはじめ、その考え方は四大元素(土、水、気、火)に第五のエッセンス(本質、真髄)を加えることによって、天界のもの(神の意思)が地上に深く及んでいるという考えると、自然界のすべての現象がうまく説明できることから重要視されるようになりました。
このようにキリスト教世界に受容されたアリストテレスの第4元素の考え方によって、デモクリストやエピクロスの原子論は中世からルネッサンスまで異端視され、日の目を見ることがありませんでした。

なるほど、そのようにして歴史の闇に葬られていたエピクロスの原子論を“発見”し、ルネサンスに影響を与えた人物がポッジョ・ブラッチョリーニというわけなのだ。
本書(『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』)によれば、レクレティウスは次のように提唱したという。

宇宙は、宇宙空間を不規則に動き回る無数の原子で構成されており、それらが日光のなかを漂うほこりのように、衝突し、つながりあい、複雑な構造を形作り、またばらばらになり、創造と破壊のプロセスを絶え間なく繰り返している。このプロセスから逃れる道はない。
夜空を見上げ、わけもなく感動し、無数の星々に驚嘆するとき、見えているのは、神の創造物でもなければ、われわれの仮の世から取り離された透明球体でもない。
そこに見えているのは、人間がその一部をなす物質界、神の基本計画も、造物主も、知性ある設計者も存在しない。われわれが属する種を含め、万物は、茫漠たる歳月を経て進化してきたのだ。
・・・だが、われわれの種も、われわれが生きる惑星も、毎日輝く太陽も、どれも永遠に続くものではない。ただ原子のみが不滅である。

ボッティチェッリの『春(プリマヴェーラ)』には、『物の本質について』の一節が描き込まれているという。