善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

謝々!チャイニーズ

星野博美「謝々!チャイニーズ」(文春文庫)を読む。
2007年発行の古い本だが、これがメッチャおもしろい。ワンパターンな記述もあるが、なかなかスルドイところがある。

ベトナム国境から上海まで、改革開放・海外流出に沸く中国・華南の旅。筆者27、8歳。旅をしたのは1993年と翌94年の夏で、社会主義でありながら急激な自由化の波が人々を翻弄していた。でも、人々はまるで青春時代を謳歌しているようだった。夢あり、笑いあり、悲しみあり、怒りあり、それが青春だ。
しっかり取材して書いているから正確には取材記のはずだが、あくまで旅人として「旅行記」として読ませるところが卓越している。
まあ、筆者は中国語が堪能らしく、それで地元に溶け込むこともできたんだろうが、行く先々で触れ合った人々との交流が、たくましくも美しい。読んでいて涙する場面もあった。

目のつけどころが気に入った場面というか記述のいくつか。

厦門(アモイ)の鼓浪嶼(コロンス)という島にいったときの話。
この島はアヘン戦争後、アメリカ、イギリス、日本、ドイツ、フランスなど列強諸国の共同租界地となった。今でも島内のあちこちには当時の姿のままの西洋建築が残り、往時の面影を色濃く留めたエキゾチックな空間が広がっている。
しかし、そんな空間を地元の中国人たちは自分たちが使いやすいように平気で改造している。そこに、中国民族のしたたかさを見る。筆者は書く。

古いものを片っ端から壊すことで前進し続けてきた記憶喪失都市・東京で暮らすうちちに、古いものは即ち貴重なものとして無条件に畏怖してしまう自分から見れば、鼓浪嶼は島ごと博物館にしてそのまま冷凍保存してしまいたくなるような美しさだ。しかしここの人たちの考えは違う。かつては西洋人の一家族が住んでいたであろう邸宅に、いまは二〇ぐらいの中国人家族が住んでいる。華美な装飾の施されたバルコニーには洗濯物がずらりと並び、贅沢な空間を保持するために設計された高い天井は板で仕切って二階に分けられてきちんと中国人にちょうどよいサイズになり、光を採るために設けられた中庭は半ばゴミためと化している。景観保護どころの話ではない。
しかし美しさを恐れない彼らのあっぱれな生活力を見ていると、「いいぞ、もっとやれ」と声援を送りたくもなる。
自分たちが好きなようにその建物を使うことは、自分たちのために造られたわけではない、支配者の象徴だった頑丈すぎる帝国主義建築の末期には、もっともふさわしい再利用の方法だと思う。

こんな記述もある。

中国では物を買うことも物を食べることも、乗り物に乗ることも、すべてが闘いだ。正当な扱いを受けようと思えば闘いに勝つしかない。
ここの商売の鉄則は、客にいかに悪い物を掴ませ利益を上げるか、だ。
市場へ行ってリンゴを買う。中国の市場では秤売りが主流だ。客は店主から差し出されたビニール袋に欲しいだけ量を入れ、重さに応じて料金を払う。客は店主をはなから信用せず、秤を奪って自分の目で確かめない限り、決して金は払わない。
最初の頃、素朴な私は、店主自ら袋にりんごを入れてくれるのを「親切な人だ」とほほえみながら眺めていた。・・・
(実際は)店主は、私を馬鹿な客と知って、わざわざ悪い物をたくさん売ってくれたのである。

日本にいたころは楽だった。物にはあらかじめ価格が設定され、人としゃべらなくても物を買うことができた。だまされやしないか、ボラれやしまいかといちいち気を揉む必要もなく、穏やかな心でいられた。判断停止状態のまま、無事に日常生活を送ることができた。・・・

そんな東京の生活を、「これが果して幸せなことだろうか。自分は本当に、誰からもだまされてはいないだろうか」と思うようになった。
中国へ行くと、老獪な商売人たちが、日本で暮らすうちに退化してしまった私の本能に活を入れる。
ぼやぼやしているとだますぜ。それがいやなら自分の身は自分で守ることだ。
こうして私は少しずつ素朴さを失っていく。
でもそれは悪い感じではない。

平潭(ピンタン)で、教会からの帰りの道すがらの筆者のつぶやき。

光あふれる道から日の差さない路地に足を踏み入れると、聖歌は嘘のように聞こえなくなった。
よきことは光の中で行われている。
しかしその光が、暗い路地を照らすことはない。