善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

佐藤雅美 夢に見た娑婆

土曜日朝の善福寺公園は晴れ。風が涼しい。

上池をめぐっていると、散歩中?のカメさん。すれ違ったところをパチリ。
イメージ 1

いい天気なので日向ぼっこのカメが多い。

佐藤雅美の縮尻鏡三郎シリーズ最新作『夢に見た娑婆』(文藝春秋)を読む。

大番屋元締として市井の揉め事解決に奔走する拝郷鏡三郎シリーズの7作目。
鳥肉の仲買人・新三郎は、刃傷沙汰に巻き込まれて寄場送りになっていたが、晴れて自由の身になった。ところが戻ってみると、仕事はトラブル相手に丸ごと横どりされており、何やら鳥肉問屋をめぐっておかしな動きがある。さらに妻は子どもを置いて行方不明に。自身も鳥肉料理好きの鏡三郎は新三郎のために一肌脱ぐことになるが……、というお話。

江戸時代、各町内には自身番というのがあり、何か事件があって容疑者が捕まるとひとまずここに連れて行かれ、犯罪の嫌疑をかけられた者は刑が確定するまで大番屋に送られる。いわば留置所だ。その元締、つまり所長が拝郷鏡三郎。

またの名を縮尻鏡三郎というのは、本来は御勘定留役という財務官僚を努める切れ者だったが、上司から頼まれた行為の責任を取らされる形でやめさせられ、無役となってしまった。過失かなんかで役職をクビになって、無役の者の集まりである小普請組入りした旗本や御家人を縮尻(しくじり)小普請と呼んでいたそうで、それで縮尻鏡三郎。しかし、本来彼に罪はなく、責任を感じた上司の仲介で大番屋の元締となっている。

鏡三郎の元には毎日のように人が訪ねてくる。大番屋に留置されている者の身寄りとか知り合いが差し入れを持ってきたり、何やかやと相談に来るのだ。

今回も、そうやって鏡三郎の世話になった者をめぐる物語で、今回のテーマは「鳥肉」をめぐる問題。いつも江戸時代の含蓄が楽しめる佐藤作品だが、江戸時代、鷹狩りは将軍が好んだ趣味というかスポーツというか軍事訓練というか、そういったたぐいで、要するに鷹を使った狩猟。

「生類哀れみの令」の綱吉は別として、家康を筆頭に代々の将軍は鷹狩りを好み、幕府には鷹匠という役職があった。鷹匠は2組あり、鷹匠頭は千石高というから高級旗本にも負けない祿高。飼育する鷹は合計すると約100羽もいたから、エサも大変になる。

鷹が食べるのはスズメとハトに限られ、鷹は1日にスズメを10羽、ハト3羽を食べた。鷹100羽で年間スズメ36万5000羽、ハト10万9500羽も食べたという。

それだけのスズメやハトをどうやって捕まえたかというと、幕府は「御鷹餌鳥請負人」を8人置いた。請負人は自分が捕獲に当たるのではなく専門の捕獲人を雇った。専門の捕獲人を「餌差」ともいったが、一般には「いさし」といわれたんだそうだ。

「いさし」は合計20人ばかりいて、スズメやハトを捕まえて鷹匠の屋敷に納めた。
しかし、「いさし」が捕まえるのはスズメ、ハトに限らない。ついでにウズラとかほかの小鳥や、大きなものではガンやカモ、キジなんかも捕まえ、それらは市中で売却した。

ただし、勝手に売却はできず、幕府が許可した鳥問屋だけが鳥肉の売買に携わることができたという。
鳥問屋のことを飼鳥屋(かいとりや)といった。鳥を買い取る稼業だから本来は買鳥屋というべきだろうが、すると何でも買い取る買取屋と間違えられるというので飼鳥屋の字をあてたとか。

なるほど、勉強になる。

もう1つ読んでいて気づかされたのが江戸時代のフェールセーフの仕組みだ。
幕府は何かというと1つの役に2人以上の者を任じてきた。1人に権力が集中するのを防ぐためだそうで、そういえば江戸の町奉行も北と南の2人いた。鷹匠頭も2人いて、互いに切磋琢磨するように仕向けられていた。1人が問題を起こしてずっこけても、もう1人がいれば代わりができる利点もある。
つまり、何か事故が起こっても大事に至らないようにするフェールセーフの仕組みともいえる。

いつも勉強になる佐藤雅美の小説。読んでいるあいだの何時間か、江戸時代に生きている感じになるのが楽しくて、アッという間に読み終えてしまうのが難点といえば難点。