善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

紙芝居の世界

土曜、日曜朝の善福寺公園は晴れ、すごしやすい。

上池のニセアカシヤがいつの間にかたわわな花をつけていた。
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弁天島のあたりの杭の上にカワセミが1羽、じっと羽を休めている。いや、いまごろは繁殖期らしいからエサとりに懸命なのだろう。
そういえば今の時期はカルガモのヒナを見かけるころだが、今のところ姿なし。

キショウブが今を盛りと咲いている。
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下池にまわると、スイレンも池のあちこちで花開いていた。
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地下鉄・九段下駅のすぐそば、お掘りの近くに「昭和館」という施設がある。戦中・戦後(昭和10年ごろから昭和30年ごろまで)の国民生活に係る資料を展示し、後世代にその労苦を伝える国立の博物館なんだそうだ。

同館には戦前・戦後に子どもたちの人気を博した紙芝居も多数所蔵されてあるそうで、このほど、昭和館監修で『紙芝居の世界』(メディアパル)というムック本が刊行された。
黄金バットと紙芝居のおじさんに魅了された、あの時代」と副題のつくこの本、資料的価値も高く、おもしろくて勉強になる本だった。

そもそも、「物語」は「物語り」だが、「絵」については「絵語り」とはいわず、「絵解き」という。
もともとは宗教を広めるため、教典の内容をストーリーのある説話絵にして、それを解き語ること、あるいは解き語る者を「絵解き」といった。
視聴覚に訴える絵解きはインドに起こり、中央アジアや中国をへて日本にも伝わったとされる。
ヨーロッパでも教会の壁に宗教画が描かれているところがあり、同様にして絵解きで教義をわかりやすく伝えることが行われていただろう。

日本では、最初は仏教流布のために用いられ、たとえば寺では、僧侶が曼荼羅や寺の縁起を「絵解き」によって参拝者たちに語って聞かせたりしたが、平安時代には、物語を楽しむためにも「絵解き」が活用されるようになったようだ。

源氏物語』東屋の巻に「絵解き」のシーンが登場する。
お姫さまを慰めるため、お姫さまに絵の冊子を見せ、かたわらで侍女がことば書きを読む話が出てくる。
このシーンは国宝『源氏物語絵巻』東屋の巻にも描かれていて、これが紙芝居の源流ともいわれている。

江戸時代から明治・大正にかけて、小さな穴から箱の中の絵を覗く「のぞきからくり」があったが、絵だけではあきられるのでこれに語り(のぞきからくり節)をつけたものが人気を博した。同じ時期に寄席や縁日で楽しまれた影絵や写し絵なども「絵を見せながら語る」という点で紙芝居の原点といえる。

明治20年(1887年)ごろ、落語家三遊亭円朝が、弟子の「新さん(姓名不詳)」という者に、『西遊記』や『忠臣蔵』の木版画を描かせ、駄菓子屋で1枚1銭で売らせた。
子どもはその絵を切り抜いて竹の串に貼り付けて遊んだという。
子どもたちの着想にヒントを得たのか、新さんはもう1人の人物とともに「立絵」を創始した。絵を切り抜き、裏打ちしたものに竹の串を刺した人形を使った芝居が立絵(背景は黒幕に限られていたという)。最初は何も売らずにただ見せるだけで5厘取り、ついで1銭となったが、明治末に初めて飴を売って見せるようになった。のちには、今のように自転車につけて歩くようになった。

1930年代に現在の紙芝居形式(これを平絵といった)が登場するまで、この立絵が「紙芝居」と呼ばれていた。

昭和5年(1930)ごろ、飴などを売ることで商売する街頭紙芝居が始まり、「黄金バット」や「少年タイガー」などの娯楽作品の人気とともに全国に広がっていった。
同時に、このころから日本はますます軍国主義の世の中になっていく。紙芝居は戦意高揚の道具にされ、「国策紙芝居」として侵略戦争遂行に一役買う時代が続く。

戦後、あらゆるメディアがGHQによって規制を受けたが、最初、紙芝居は入っていなかった。米軍は日本独特の紙芝居の存在を知らなかったのだろう。
やがて、紙芝居の子どもたちへの影響の大きさを知ったGHQは、ほかのメディア規制より遅れること2カ月たって紙芝居担当係を新設、検閲の対象とすることにした。

このあたりから「黄金バット」のブームが始まり、加太こうじ描くところのホンモノ(といっても加太こうじも戦前の黄金バットをまねして描いたのだろうが)の黄金バットをまねて、ニセの黄金バットがちまたにあふれた。

これについて本書で、紙芝居師の梅田佳声氏が「黄金バットは不滅だ!!」と題する文を寄せていて、なかなかいいことをいっている。

ある時、加太先生にお尋ねした。
黄金バットは偽物が多く出た相ですね」
先生は言下に答えた。
黄金バットに偽物は在りません! 孫悟空は誰が描いても孫悟空です。バットは誰が描いてもホンモノです」
私は思う。この紙芝居的融通無碍(むげ)の精神こそが、栄枯盛衰の80年を潜り抜け、今尚紙芝居在る所にバット有り「黄金バットは不死身だ、ウハハハ」の原動力なのであろう。

私も12、3年ほど前、なぜか突然「黄金バット」の紙芝居をつくりたくなり、国会図書館に行って加太こうじ氏が描いた「黄金バット・ナゾーの巻」を複写し(何かの本に載っていた)、それを模写して紙芝居をつくったことがある。その紙芝居で、今までに何度、子どもたちの前で「黄金バット」を語ったことか。

なるほど、黄金バットは不滅だ!