善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

夢枕獏 大江戸釣客伝

夢枕獏の『大江戸釣客伝』(上・下、講談社)を読む。
さきごろ吉川英治文学賞を受賞した小説だ。

日本最古の釣り指南書といわれる『何羨録(かせんろく)』を著した旗本・津軽采女(つがるうねめ)の話と、もう1つ、絵師・多賀朝湖(のちの英一蝶)と俳人宝井其角の話が、いずれも「釣り」をテーマに、まるで魚がエサに近づいたときのようにツンツンと突っつきあいながら進んでいって、やがて交わっていく。

ころは泰平の世の元禄時代あたりで、紀伊國屋文左衛門、水戸光圀松尾芭蕉、それに忠臣蔵の敵役・吉良上野介や将軍・綱吉まで登場し、多士済々。
しかし、あまりに豪華キャストで、話が生類憐みの令とか赤穂浪士の討ち入りにもからんでいくからか、歴史的事件を追っかけるのに忙しくて(特に後半)物語としての深みはイマイチのまま終わってしまった。

ところで、主人公・津軽采女という旗本が書いた『何羨録』という本は、釣り場紹介から釣り道具、エサ、天候の読み方まで書かれていて、この本を読むと江戸に豊かな釣り文化があったことがよくわかるという。
旗本といっても4千石のお殿さまというから、ヒマにまかせて釣り三昧のあげくが、道楽の深みにはまっていったのだろう。

『何羨録』という題名がおもしろい。
なぜ『釣秘伝百箇条』とか『釣魚大全』とかにしないで『何羨録』にしたのか。
ちなみに『釣秘伝百箇条』というのは『何羨録』以前に日本で書かれた釣りの本らしいのだが、現存しないので不明。
また、『釣魚大全』は世界最古の釣りの本といわれるものでイギリス人のアイザックウォルトンにより1653年に刊行された。どっちにしても「釣り」の文字が入っている。(なお『何羨録』が書かれたのは1723年(享保8年)といわれている)

それにしても魚釣りとは関係なさそうな「何羨」とは。
「何(なん)で羨(うらや)むことがあろうか」という意味だろうか。
「釣りができればそれだけで幸せで、立身出世など少しもうらやましいことはないよ」ということをいいたかったのか。
『何羨録』の序には次のような文言が綴られている。

嗚呼、釣徒の楽しみは一に釣糸の外なり。利名は軽く一に釣艇の内なり。
生涯淡括、しずかに無心、しばしば塵世を避くる。すなわち仁者は静を、智者は水を楽しむ。あにそのほかに有らんか

津軽采女吉良上野介の娘を妻とし、釣りも禁じた「生類憐れみの令」を出した綱吉にも側小姓として数年間仕えている。
妻は早くに亡くなり、赤穂浪士の討ち入りがあったのは妻の死からずっとあとだったが、吉良家と縁続きということで世間や幕閣の風当たりは強く、その後の出世も閉ざされたという。好きな釣りも「生類憐れみの令」でできなくなったが、そんな悪法を平気で定める将軍の側近くに仕える不条理。

虚しい気持ちを救ってくれる唯一の楽しみが釣りであり、それで「何羨(なんでうらやむことがあろうか)」という境地に至ったのだろうか。