井上ひさしの『一分ノ一』を読む。
未完であるにもかかわらず、抱腹絶倒、メチャおもしろかった。
井上ひさしの小説の中には、『吉里吉里人』を筆頭に『江戸紫絵巻源氏』とか『四千万歩の男』『腹鼓記』『東京セブンローズ』などなど、長い長い小説がいろいろあるが、その長大小説の中でも『一分ノ一』は『吉里吉里人』に迫るおもしろさだった。
(井上ひさしの死後に『一週間』という小説も出版されて、これも長編だったが、出来ばえはそれほどでもなかった)
井上ひさしの小説の中には、『吉里吉里人』を筆頭に『江戸紫絵巻源氏』とか『四千万歩の男』『腹鼓記』『東京セブンローズ』などなど、長い長い小説がいろいろあるが、その長大小説の中でも『一分ノ一』は『吉里吉里人』に迫るおもしろさだった。
(井上ひさしの死後に『一週間』という小説も出版されて、これも長編だったが、出来ばえはそれほどでもなかった)
そのわずか3日の間に放たれる井上ひさしの言葉の数々がすさまじい。
物語の設定からして奇抜。第2次世界大戦が終わって、ニッポンは米英中ソに分割され、それから40年たったという設定。ソ連の植民地と化した北ニッポンの地理学者サブーシャは、大阪のヤクザ、四国の高校野球監督、美人歌手らとともにニッポン統一をめざして立ち上がり、非合法の戦士となる。ついには捕らえられ、裁判にかけられるが、なぜか偶然が偶然を生んで、間一髪、生き延びる。
物語の設定からして奇抜。第2次世界大戦が終わって、ニッポンは米英中ソに分割され、それから40年たったという設定。ソ連の植民地と化した北ニッポンの地理学者サブーシャは、大阪のヤクザ、四国の高校野球監督、美人歌手らとともにニッポン統一をめざして立ち上がり、非合法の戦士となる。ついには捕らえられ、裁判にかけられるが、なぜか偶然が偶然を生んで、間一髪、生き延びる。
分断されたニッポンの悲劇を描くことで、分断されなかった現実の日本のもっとひどい悲劇を、井上ひさしらしく「やさしいことをふかく」「ふかいことをゆかいに」あぶり出している。
井上ひさし独特のウンチクが充満している。
主人公のサブーシャは地理学者なので地図についてのウンチク、皿洗い名人に間違えられてからは中国料理とか皿洗いにまつわるウンチク、国語辞典の編纂者との出会いでは、その国語学者がつくっている辞典の項目にいちいち笑わされる。
「ウォルプ博士の恐怖心調査」というのも真に迫っているが、ホントにあるのか?
主人公のサブーシャは地理学者なので地図についてのウンチク、皿洗い名人に間違えられてからは中国料理とか皿洗いにまつわるウンチク、国語辞典の編纂者との出会いでは、その国語学者がつくっている辞典の項目にいちいち笑わされる。
「ウォルプ博士の恐怖心調査」というのも真に迫っているが、ホントにあるのか?
中でも抱腹絶倒だったのが、六本木にあるモスクワ芸術座附属トウキョウ俳優座劇場にサブーシャが紛れ込む場面。演出家のコレヤイ・センダチェンコ、人気絶頂の美人女優コマキーナ・カズートヴナ・クリハレンコなんかが登場するが、おのずと千田是也、栗原小巻が目の前に浮かんできて、サブーシャと絡む場面では腹を抱えて笑ってしまった(電車の中でなくてよかった)。
井上ひさしならではの言葉ワールド全開。コレほんとに未完の小説なの?と思いながら、ワクワクして読み進むと、たしかに途中でブチッと終わってしまう。
巻末をよく確かめてみると、「小説現代」に連載されたもので、第1話は昭和61年(1986)6月号に掲載。その後も間隔をあけながら連載(41回)が続き、平成4年(1992)3月号を最後に中断したままとなっている。
傑作になるはずなのに、それがなぜ20年近く前に突如中断され、そのままになっていたのか?
『東京セブンローズ』は「別冊文芸春秋」に1982年から1997年まで15年にわたって中断を挟んで連載され、大幅な加筆訂正が加わって1999年に単行本になっている。
20年もほっておかれたままというのは不可解だ。
『東京セブンローズ』は「別冊文芸春秋」に1982年から1997年まで15年にわたって中断を挟んで連載され、大幅な加筆訂正が加わって1999年に単行本になっている。
20年もほっておかれたままというのは不可解だ。
未完の小説の最後の方に「メダゼパム」なる坑不安薬の話が出てきて、これが物語の今後の成り行きに関係するみたいなのだが、今となっては想像の世界である。ちなみに「メダゼパム」は実在する薬である。