善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

プラハ・ウィーンある記 2

プラハ・ウィーンの旅の2日目(9月24日)。
ホテル(ホテルパジーシュ)で朝食のあと、歩いてプラハ中央駅に行き、あす行く予定のプルゼニュまでの鉄道の切符を買う。そのあと近くにあるバスターミナルで27日に行くチェスキー・クルムロフ(世界一美しい町と呼ばれている)までのバスの切符を買う。
バスターミナルがあるフローレンツから地下鉄に乗って旧市街の中央へ。切符は30分券で24コルナ(100円ほど)。

いよいよ観光開始。泊まっているホテル近くの火薬塔からプラハ城までの「王の道」をたどる。王の道とは歴代の王が戴冠パレードを行った道のことで、およそ2・5キロある。火薬塔、ティーン聖母教会、旧市街広場、旧市街市庁舎をへてカレル橋を渡り、対岸にあるプラハ城に至る道のりを、王さまになった気分で歩く。
どの建物もどの道も中世の時代そのままで、タイムスリップした気持ちになる。

カレル橋を渡ったところでお昼になり、レストランを探す。丘をのぼっていったあたりに「David(デイビッド)」というチェコ料理のお店があるはずと探すが見つからない。
道がわからなくなりながらも、そのままどんどん丘をのぼっていく。おそらくここがプラハ一の高台では?と思う場所からのプラハのながめがすばらしい。
行き着いたのはストラホフ修道院プラハにあるもっとも古い男性の修道院で、壁いっぱいに蔵書が並ぶ「哲学の間」と「神学の間」の二つの部屋に仕切られた図書室が有名。

修道院の敷地の中には大きなレストランがあり、観光客が詰めかけている。たしか、敷地の奥の方には隠れ家的なレストランがあるはず、と探す。それがこの「Peklo(ペクロ)」という店。Pekloとは何と「地獄」という意味。
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わかりづらい場所にあるが、ときどき「Peklo」の看板が出ているので、それをたどって行くと、一見すると普通の家みたいな感じの店。中に入ると地下に続く階段があり、下っていくとそこがレストラン。何でもここはもともとはワイン貯蔵庫だったという。中は薄暗く、ろうそくの火が頼り。時刻は午後2時近くで、客はわれわれのほかに誰もいない。

チェコ語のメニューはさっぱりわからず、英語でも書いてあるので何となく類推して注文。しばらくして、持ってきてくれたのを見てのけ反る。巨大な豚の骨つきひざ肉のローストにナイフが突き刺さっているではないか。

食べてみるとおいしい。皮はパリパリで、肉はやわらかくトロトロ。コラーゲンたっぷりといった感じで、豚足の煮込みに似ている。ローストといいながら1度十分にゆでて、そのあとロースとしているのではないか。専用のナイフがぐさりと突き刺さっているのがお約束のようで、後日、別の骨つき肉を食べたときもやはり同じだった。

この料理、あとで調べたら「ペチュネー・ヴェプショヴェー・コレノ」というチェコの名物料理の1つ。ツレアイが頼んだのは「ハンガリアングーラッシュ」とかいう肉の煮込み料理で、こちらも巨大。
チェコ人もアメリカ人に負けずに大食らいらしい。これを教訓に、以後はメインとサラダを1皿ずつ注文し、2人でシェアして食べることにした。日本人には1人前を2人で食べて十分なような気がする。

ワインはスロバキア産の赤ワインをボトルでもらう(けっこういい値段)。したたか食べて、したたか飲んで、満腹状態で地上に生還。
プラハ城に到着するも、ワインの酔いも手伝って「もうどうでもいいや」状態。適当に見学して、地下鉄に乗っていったん宿に戻る。
丘の上にたつプラハ城からのながめもなかなかのもの。
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夜はモルダウ川の河畔にある「ルドルフィヌム(芸術家の家)」内のドヴォルザーク・ホールでのコンサート。

毎年5月のプラハの春音楽祭では、オープニングは市民会館のスメタナホールでスメタナの「我が祖国」、フィナーレコンサートではドヴォルザーク交響曲をこのドヴォルザークホールで演奏するのが慣例になっている。
毎年9月には「ドヴォルザークプラハ・フェスティバル」という国際音楽祭がドヴォルザークホールで開催されていて、われわれが到着した日の夜は、チェコ・フィルと五嶋みどりとの競演があったのだが、時間的に無理で、出発前、東京でとったのが最終日のクロージング・コンサートのチケット。

しかし、このコンサートのプログラムがまたすばらしい。カナダ出身のヤニック・ネゼ=セガン指揮で、ノルウェーのチェロ奏者トルルス・モルクロッテルダム・フィルとの競演。演目はドヴォルザークの「チェロ協奏曲」とベートーヴェン交響曲第3番「英雄」。

プラハのコンサートは普段着でもOKというので、それでもジャケットを羽織って会場へ。ツレアイはしっかりとおしゃれな衣裳で靴も履き替えてきた。

7時開演に合わせ早めに会場に着くと、何と玄関に続く階段には赤じゅうたんが敷かれ、次々と訪れる人々は正装の人も多い。ま、中には私のようにジーパンにジャケットのラフな人もいたので多少は安心。

会場の雰囲気がまたすばらしい。
客層は老若男女いろいろ。着飾った子どもたちもけっこういて、家族で音楽を愛し、楽しんでいる様子が伝わってくる。
客席は1000人ぐらいは入るだろうか、舞台は座席のすぐ近く、高さもそれほどなくて、演奏者と観客がひざを突き合わすような感じ。
客席もこじんまりとしていて、何と真ん中の通路がない。横1列で30数席あるが、それがずっとつながっている。
だから真ん中の席に座ろうとしたら、はじっこからえんえんと歩いていかないといけない。すでに座っている人は立ち上がって通して上げる。だが、そこに観客同士の譲り合いが生まれて、一緒に音楽を楽しもうとする思いが広がっていく感じがする。

舞台も狭くて100人ぐらいいるオーケストラ奏者もツメツメで座っている。指揮者のヤニック・ネゼ=セガンとチェロ奏者のトルルス・モルクが一緒に入場してきたときも、チェロを持ったモンクがコンマスと握手したりしていて道をあけないもんだから指揮者はしばし立ち往生していた。

われわれが座った席は前から4列目の7番、8番。チェロの演奏を見るのには格好の場所だ。
ドヴォルザークの聖地で、しかもドヴォルザークの曲、それも大好きなチェロ協奏曲を聴けるなんて、それだけでも感激してしまう。

モルクの演奏が心を打つ。帰って調べたらけっこう日本でもファンが多いらしくて、世界各地でのリサイタルに加えて、ロンドン・フィルベルリン・フィル、コンセルトヘボウ管、ボストン、シカゴなどともしばしば競演。日本にも来ていて、デュトワ指揮でN響と演奏している。
1961年生まれだから今年50歳。演奏を見た感じではもっと若い印象だったが、絶頂期にある証拠だろう。

すぐそばで見ているのでよくわかるが、オーケストラと一緒に演奏するのが楽しくてしょうがないというふうで、自分が弾かないときはコンマスに笑顔を向けたり、曲に合わせて体を揺すったりして心を通わせている。そして、いよいよ自分の番が近づいてくると一気に集中力を高めていく。

指揮のヤニック・ネゼ=セガンはもっと若くて36歳の新鋭。小柄だが、飛び跳ねるように躍動感あふれる指揮ぶりだった。

チェロ協奏曲が終わると、私たちも含め観客は総立ちの拍手。アンコール曲はたしかラヴェルの何とかといっていたが、初めて聴く曲。

会場は平面的には狭い感じだが天井が高い。音響効果はバツグンで、世界屈指という。第1楽章の最後に指揮者がパッと演奏を終わらせるとき、ウワンという響きが会場を揺らす。

コンサートが終わったのは10時半ごろ。酔いしれた気分のまま旧市街広場まで歩いていくと、屋台はまだ開いている。
ここには炭火焼きの串焼き肉とかソーセージとかをパンに挟んだホットドッグみたいなのを売る店が並んでいる。これをかぶりつきながらビールで乾杯。
宿に着いたのは11時すぎ。せっかくの超高級ホテルのリッチな雰囲気を楽しむ間もなく、バタンキュー。