善福寺公園めぐり

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西村玲さんの仏教における「創世記」

410日の朝日新聞のウェブ版で、大きな研究成果を上げて将来を期待されながら自ら命を絶った女性研究者の話を読んだ。
西村玲(りょう)さんという人で、20162月に亡くなったが、享年43という若さだった。
東北大学で日本思想史を学び、仏教研究で博士(文学)になったが、研究に打ち込もうと思っても非常勤の仕事しかなく、それも途中でなくなってしまい、多くの大学に求職したがいずれも断られ、追い詰められた末の自死だったという。
 
西村さんは、日本近世(江戸時代)の独創的な仏教思想家であり実践者である普寂(ふじゃく 1707-1781)の思想を分析し、従来の研究では形骸化した思想として軽視されがちであった近世仏教思想に対して新たな視点からの再評価を行うなどして、今後の活躍が大いに期待された若手研究者だったという。
そんな人がなぜ自ら死を選ばなければいけなかったのか。
背景には、金儲けできるヤツはエラくてそれができなければ落伍したっていいという今の自民党・安倍政権による、目先の成果ばかりを優先して地道でまじめな研究者にはカネを出さない貧しい政治がある。
彼女はそんな政治の犠牲者とはいえないか。
 
仏教研究はまるで門外漢でサッパリわからないが、せめて彼女の人柄に触れたいと、岩波講座「日本の思想」第四巻所収の「須弥山と地球論」という彼女の論文を読んだ。
近世においては須弥山を中心とした仏教の宇宙像に対して西洋科学の地球説からの批判があったというが、仏教の宇宙論1つである須弥山世界とはどんなものなのか、わかりやすく書かれていてナルホドと思った。
 
おもしろかったのは、仏教における「創世記」に触れた部分だ。
キリスト教の創世記はよく聞くけど、仏教ではどうなっているのか。
キリスト教では人も含めて天と地は神が創造したとなっているが、西村さんは次のように書いている。
 
仏教における人の始まり、いわば創世記を紹介しておこう。
・・・
最初の人々は、神々の住処である上界から、自らの意志で生まれてくる。人々は美しい肢体から光明を放って自在に空を飛行し、喜と楽を食として無量の寿命を保ち、もとより男女や尊卑の別はない。ある時、地面によい香りのする蜂蜜のような甘い「地味(じみ)」というものが生じる。ある者がその香りに誘われて地味を食べ、他の者も食べることを知った。物を食べるようになった体は、堅く重くなった。人は空を飛べなくなり、体から光が失われて暗闇が生まれ、太陽と月と星が現れた。その後、地面から生まれる食物が「香稲(こうとう)」に変わった。これは粗雑な食物であるために体内からは排泄物が生じ、肉体に排出器官が作られて男女の別となり、性欲が生まれて性交するに至った。さらに怠け者が香稲を蓄えることを考え出して、人々が食物を貯蓄するようになると、もはや地面から食物が生じることはなくなり、農耕と労働が生まれた。これを治める王が必要になって、盗みと戦いが生まれ、罪人と処罰が生まれたという。
 
仏教における「創世記」を初めてよんだが、もともと人はユートピアに住んでいたみたいで、なんだかうらやましくなった。

 仏教の宇宙観によれば、須弥山を取り巻いて世界が広がっているが、須弥山のまわりには7つの山脈と7つの海が取り囲んでいて、七山七海の外には外海が広がり、4つの大陸がある。私たちはそのうちの1つの南の大陸に住んでいて、その空は、須弥山四方の山壁のうち南の壁となっているラピスラズリの青を映しているという。

世界」という言葉ももともと仏教語であり、「世」は時間、「界」は空間の意味だという。

西村さんの死後、彼女が書いた論文を集めた「近世仏教論」という本も出版されているそうで、そちらも読んでみたくなった。