善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

アッシジ 北イタリアの旅⑭

北イタリアの旅の9日目、フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ駅8時02分発の電車で北イタリアよりはちょっと南の、アッシジに向かう。
アッシジ到着は10時49分、駅から市街地までは離れているので、バスに乗る。
ただし、バスは旧市街の中には入っていけないため、旧市街の入口あたりで降りる。
宿はアッシジの象徴ともいえるサン・フランチェスコ聖堂の真ん前にあるが、聖堂は丘のうえに建っているので重い荷物をガラガラと引きながら歩く。
途中、サン・フランチェスコ聖堂の真ん前を通るのだが、厳重な警備中で武装した警察(あるいは兵隊?)の持ち物チェックを受けなくてはいけない。まさかスーツケースを開けないといけないのか?と思ったが、フリーパスで通してくれた。

われわれが泊まった宿。「ホテル・サン・フランチェスコ」。
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予約するとき、聖堂が見える部屋をお願いしたら、ホントに目の前がサン・フランチェスコ聖堂だった。
午前中だったけど、ここもアーリーチェックができた。
ホテルの部屋からのながめ。目の前にサン・フランチェスコ聖堂。
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教会もホテルも丘の上にあるので眺めがいい。
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アッシジはイタリアの国の守護聖人であり、第2のキリストと呼ばれる清貧の聖人フランチェスコが生まれた町。イタリアだけでなく全世界のカトリック教徒の巡礼の地となっている。
さっそく街を歩き、教会を訪れたが、ほかの地域とは違う空気を感じる。
ここも観光客が多く、にぎわっているのだが、どこか落ち着きがある。
教会の中に入ると、みな厳粛な表情でイスに座ってお祈りしている人も多い。
アッシジカトリック教徒にとっての心のふるさとでもあるのだろう。

町は観光客でにぎわっている。
道の真ん中で抱き合っているカップルがいた。
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行き当たりばったりで適当な店に入り、昼食。
まずはビール。
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パスタ。
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小豆みたいな豆の料理。けっこうイケた。
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オムレツ。
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昼食後、サン・フランチェスコ聖堂へ。
近づくとかなりデカイ。
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フランチェスコは12世紀後半にアッシジの織物商人をする裕福な家庭に生まれた。父親がフランスびいきだったことから「フランス」を意味する名前を彼につけたといわれている。
若いころは勝手気まま、放蕩生活を送り、勇敢な騎士を夢みて軍隊に入るが捕虜になったり病気をしたりして挫折。苦しみ、悲しみを味わう中で神の声を聞き、世俗を棄てて修道の道に入ったのは20歳のとき。
愛と平和と清貧を説いたフランチェスコの教えは人々の心をとらえ、信者は急速に増えていった。彼は3つの戒律「従順・清貧・貞潔」を定め、修道者は一切の所有は認めないと戒めた。あるとき、ときの教皇に会いに行った彼は、教皇から「お前たちの尊い精神はよくわかるが、一切の所有を認めないというのは厳しすぎはしないか?」と問われると、「しかし、何かを所有すればそれを守る力が必要となってしまうでしょう」と答えた。どっちが教皇かわからないエピソードだ。

そういえば、もともとのインドの仏教では、出家者は所有欲を否定するために最低限の生活必需品しか持たないほか、生産活動も禁じたという。生産は所有につながると考えたからで、出家者が生きるために行ったのが托鉢だった。

とにかく、清貧を貫いたのがフランチェスコだった。
聖堂の内部にはジョットが描いた聖フランチェスコの生涯の連作壁画があるが、これが全部で28枚もあって、1つの物語になっている。「小鳥に説教するフランチェスコ」など、彼の人柄がわかりやすく描かれている。
山中で聖痕を受けるフランチェスコという絵もあった。
聖痕とは、十字架刑に処せられたキリストの傷と同じものが体に現れたものをいい、フランチェスコの高い精神的境地を示す「奇跡」とされている。聖痕が文献上に登場するのはこのフランチェスコのケースが最初という。
やがて彼は44歳で亡くなり、聖痕が確かめられて聖人となる。
彼の死後、建てられたのがサン・フランチェスコ聖堂。
本人は清貧に生きた人なのに、建物は実に立派だ。

サン・フランチェスコ聖堂がアッシジの旧市街地の西端に位置するなら、東の端にあるのがサンタ・キアーラ教会。
アッシジの名門貴族の娘キアーラはフランチェスコに最初に帰依した人という。しかし、キアーラの両親が娘を裕福な男に嫁がせることにしたため、家を飛び出して出家し、サン・ダミアーノ修道院で活動を始め、彼女もフランチェスコに習って清貧の生活を送ったという。
彼女の死後、建てられたのがサンタ・キアーラ教会だ。

キアーラがすごしたというサン・ダミアーノ修道院に行く。エンエンと丘を下っていって、町の中心部から2・5キロほど離れたところにある。
途中、オリーブの林があった。
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オリーブの花が咲いていた。
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サン・ダミアーノ修道院
こちらはキアーラの清貧の暮らしが多少はわかる雰囲気。
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壁に描かれている天使も素朴な感じ。
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古びた木製の十字架がかかっていた。キアーラもこの十字架に祈りを捧げたのだろうか?
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夜はコムーネ広場近くのリストランテで食事。
ワインは赤。
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前菜(イノシシの生ハムなど)
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ロッタチーズとホウレンソウを詰めた自家製パスタ。
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ビーフヒレのトリュフ載せ。
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日も暮れて、夜の町を歩くとサン・フランチェスコ聖堂が見えてきた。
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部屋からのながめ。いつまで見つめていても飽きることはなかった。
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(つづく)