善福寺公園めぐり

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きのうのワイン+「陪審員2番」「フルメタル・ジャケット」

オーストラリアの赤ワイン「ストーンホース・カベルネ・ソーヴィニヨン(STONEHORSE CABERNET SAUVIGNON)2021」

南オーストラリアのバロッサ・ヴァレーのトップ生産者ケーズラーのワイン。

「ストーンホース」という名前は、トラクターがない時代に重い泥土壌で働いた農耕馬に敬意を表してつけられたという。

バランスがとれてエレガントな味わい。

 

ワインの友で観たのは、U-NEXTで配信中のクリント・イーストウッド監督の最新作「陪審員2番」。

2024年の作品。

原題「JUROR #2」

監督・製作クリント・イーストウッド、出演ニコラス・ホルトトニ・コレットJ・K・シモンズクリス・メッシーナ、ガブリエル・バッソ、ゾーイ・ドゥイッチほか。

クリント・イーストウッド監督が94歳を迎えた2024年に発表した作品。殺人事件の裁判で陪審員をすることになった主人公が、思いがけない形で事件とのかかわりが明らかになり煩悶する姿を描いた法廷ミステリー。

 

ジョージア州サバンナのタウン誌記者ジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)は、お産を控えた妻と幸せな日々を送る善良で心優しい男。ある日、彼のもとに陪審員召喚状が届く。恋人をケンカの末に殺したとして起訴された男の裁判だった。

若い女性が橋の下で遺体となって発見されたが、恋人のジェームズ・サイス(ガブリエル・バッソ)が、バーで口論になったあと怒りにまかせて撲殺したとして殺人罪で起訴されていた。

検事のフェイス・キルブルー(トニ・コレット)は間近に地区検事長(DA)選挙を控えていて、サイスの有罪こそが選挙勝利の鍵と考えていた。被告は無罪を主張しているが、事件の夜にサイスらしき男を見たとの証言もあり、絶対に勝てる裁判だとキルブルーは確信していた。

陪審員として裁判に臨んだケンプは、被害者が死んだ夜、自分も同じ同じバーにいて、2人の口論を見ていたことに気づく。その後、車を運転して帰宅する途中、橋の上で「何か」にぶつかり、鹿と衝突したのだろうと思っていたが、それは死んだ女性だったのではないか?と思い始める。

もしかしたら、無実の男が自分の代わりに有罪になろうとしているのかもしれない。しかし、アルコール依存症を克服し、新しい人生を歩み始めたケンプは、もうすぐ生まれてくるわが子と妻のために今の生活を捨てるわけにはいかなかった・・・。

 

本作の下敷きになっているのは、同じように殺人事件の裁判における12人の陪審員の葛藤を描いた1957年の「十二人の怒れる男」であるのは明らかだろう。

同作品では、陪審員たちはさっさと表決を下して帰宅したいがために、次々と有罪に賛成するが、ただ一人、ヘンリー・フォンダ扮する陪審員8番の男が、ひょっとしたら被告は無罪ではないかと疑義を唱え、議論は白熱していって、ついには全員一致で無罪の表決に達する。

本作でも、同様に陪審員はみな早く家に帰りたさに、議論もせずに有罪で決着をつけようとするが、ただ一人、陪審員2番のケンプだけが異議を唱える。ただし、「十二人の怒れる男」では陪審員8番による固定観念に囚われない素朴な疑問からの議論だったが、本作での陪審員2番は、「彼女を死なせたのは自分かもしれない」という罪悪感からの有罪表決への疑義であり、物語はまるで違った展開になっていく。

被告が有罪になれば自分は追及されなくてすみ、妻も安心して子どもを産めるが、それでは「真実」にフタをして、「正義」をないがしろにすることになってしまう。

かといって被告が無罪になると、追及の矛先は“ひき逃げ”した自分に向いてきて、重い罪に問われる可能性がある。

映画の中では、正義と秩序の守護神とされる「正義の女神像」が繰り返し映し出され、善悪をはかる「裁きの天秤」が揺れている。

自他ともに認める“善人”だったはずの主人公。いったい善人とは何者なのか?

家庭の幸せ、というより自分の幸せのために、「真実」と「正義」を蹂躙するのが善人のやることなのか。

かといって、「真実」と「正義」のためなら家庭をメチャメチャにしてもいいものなのか。ときには「真実」と「正義」に背を向けることが「家庭の幸せ」という善につながるかもしれないではないか。

主人公だけでなく、観ているわれわれにも鋭い問いかけがつきつけられる気がした。

 

本作には、陪審員2番のケンプのほかに、もう一人、主人公がいる。

それは被告を起訴した担当検事のフェイス・キルブルーだ。彼女は今はたくさんいる検事の一人だが、日本なら地方検察庁の長たる検事正にあたる地区検事長(あるいは地方検事、略称DA)の地位をねらっている。地区検事長は選挙で選ばれるから、有権者の支持を得るためにも「DV(ドメスティック・バイオレンス)で恋人を殺した男を有罪にした」という実績が必要なのだ。

選挙で選ばれるという意味ではDAは政治家の側面を持っていて、有権者にアピールするためにも彼女にとっての正義は“DV男”をやっつけることであり、裁判に勝つことは彼女の出世につながっている。

ところが、彼女もまた、映画の途中から被告の有罪に疑念を抱くようになり、検事としての原点である「真実の追及」と、「出世のための裁判勝利」との間で揺れ動いていく。

「真実」と「正義」について、二重の意味で深く考えさせられる映画だった。

 

ちなみに本作で登場する陪審員は人種もさまざまで、中には日系女性らしい人がいて、日本人俳優の福山智可子が出演していた。しかも、医学生という彼女のセリフはとても説得力のあるもので、サスペンス度を高める重要な役どころだった。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたアメリカ・イギリス合作の映画「フルメタル・ジャケット」。

1987年の作品。

原題「FULL METAL JACKET」

製作・監督・脚本スタンリー・キューブリック、出演マシュー・モディーンヴィンセント・ドノフリオR・リー・アーメイ、アーリス・ハワード、アダム・ボールドウィンほか。

ベトナム戦争を題材に、アメリ海兵隊の新兵の厳しい訓練と戦場での体験を描いた戦争映画。

 

ベトナム戦争が激化の一途をたどっていた1967年、米海兵隊の若き新兵たち、ジョーカー(マシュー・モディーン)らは、訓練基地で8週間に及ぶ特訓を受けるが、新兵を人間とも思わぬ厳しい教官ハートマン軍曹R・リー・アーメイ)によるしごきなど、訓練の凄絶さは落ちこぼれ訓練生のレナード(ヴィンセント・ドノフリオ)が精神に異常をきたしてしまうほどだった。

訓練期間を終えたジョーカーは報道員としてベトナムの戦地に赴任し、そこで訓練基地の仲間、カウボーイ(アーリス・ハワード)と再会。南ベトナム解放民族戦線によるテト攻勢が起こると、ジョーカーはカウボーイの部隊と最前線に向かい、ベトナムの古都・フエ市街での敵との死闘に臨むことに・・・。

 

原作は軍の報道員としてベトナム戦争に従軍したグスタフ・ハスフォードの小説「短期応召兵(ザ・ショート・タイマーズ)」。ハスフォードは本作の脚本にも加わっている。

タイトルの意味は、鉛の弾を硬い金属で覆った完全被甲弾のこと。

本作を観るにあたって、描かれているのがベトナム戦争末期のテト攻勢のころであることに注目すべきだろう。

アメリカは、ベトナムの共産化を阻止する口実で本格的に軍事介入して南ベトナム軍を支援。地上軍を投入して南ベトナム解放民族戦線との全面戦争に突き進んだが、その一方で北爆を行い、北ベトナムへの攻撃を激化させた。戦争は長期化したが、68年1月、解放戦線によるテト攻勢からアメリカ軍の後退が始まり、73年にはアメリカ軍は撤退を余儀なくされ、75年4月、南ベトナム政府の首都サイゴンが陥落。北と南の統一が達成され、戦争は終わった。

 

ベトナムへの軍事介入が本格化した当初、短期決戦による勝利をめざしたアメリカは、戦争を日増しにエスカレートさせて、テト攻勢のころの68年1月8日時点の南ベトナム駐留米軍兵力は50万人を超えていた。しかし、戦争は短期で終わるどころか、ズルズルと長引き、泥沼化していく。そうなると、何十万という兵力を維持し続けるのも大変になってくる。

それだけ兵力をどうやって集めたかというと、ベトナム戦争の最中、アメリカでは志願兵制度とともに徴兵制が敷かれていた。

志願兵だけで必要兵力を満たすことができない場合、18~25歳の男性が年長から順に徴兵された。戦争が長期化すればどうしても徴兵に頼らざるを得ない。しかし、反戦運動が盛んになる中、徴兵が免除される神学校に進学したり、令状が届かないホームレスになる、あるいはカナダに移住するといった方法で徴兵を避ける人もいたし、高所得者の子どもは兵役を免れるケースもあるとの批判もあった。

何とか“公平な”徴兵を行うべく、抽選による徴兵が行われるようになり、クジ引きで選ばれた若者がベトナムの戦場に送られていった。

結局のところ、ベトナムからの軍の撤退のあとの1973年、徴兵制は停止され、その後は志願兵制に移行している。

 

映画で描かれているのは、とにかく戦力維持のため若者たちが次々と戦場に駆り出されている最中の話で、体力に自信があろうがなかろうが、とにかく一人前の兵士に育て上げなければいけないというので、スパルタ式の鬼軍曹が登場している。

この軍曹は厳しい教練で知られ、常に訓練生たちを容赦なく品のないスラングで罵倒し続け、蹴る殴るの体罰を平気で与えている。

観ていて恥ずかしくなるようなすごいセリフのオンパレード。

しかし、それこそがベトナム戦争当時のアメリカの軍隊の現実であるというので、日本語字幕は当初、戸田奈津子さんが担当していたが、彼女は鬼軍曹の罵詈雑言のセリフを穏やかに意訳して字幕にしたところ、再英訳を読んだキューブリック監督は「汚さが出てない」と戸田さんに変えて別の翻訳者を起用したという。

監督としては、普通の若者がたった8週間の訓練で戦場での殺りく者に変わるまでを描きたかったため、それにはスラングで罵倒するような鬼軍曹の存在が欠かせないと思ったのだろう。

鬼軍曹役をつとめたのはR・リー・アーメイという役者だが、彼は海兵隊出身で、海兵隊時代には教練指導官でもあった。当初は演技指導のために監督から呼ばれたのだが、その迫力があまりにも生々しく、真に迫っていたため、指導教官の役を自ら演じることになったという。

セリフは卑猥な言葉の連発で、新兵本人を汚い言葉で罵るだけでなく、出身地や家族までやり玉に挙げる罵詈雑言に、出演者が役を忘れて我慢できずに怒り出すこともあったとか。

 

ベトナム戦争は、超大国で体もデカイ人たちばかりのアメリカが、小国で体も小さい人たちの国ベトナムに負けた戦争だった。アメリカ建国以来、特に第二次世界大戦後は“世界の警察官”として覇権を誇っていた国が、唯一負けた戦争がベトナム戦争だった。

本作で描かれるテト攻勢というのは、1969年1月30日のテト、つまり旧正月を期して行われたベトナムの民族解放勢力による奇襲攻撃。7カ月前から準備していたという大規模なゲリラ攻撃を南ベトナム全土で展開し、一時、サイゴンアメリカ大使館が解放戦線側に占拠される事態にもなった。

テト攻勢ベトナム戦争における大きな転換点となり、これを契機にアメリカ軍は南ベトナムにおける戦略的優位を完全に失い、米国の戦争政策そのものが大きな後退を余儀なくされた。当時のジョンソン大統領が2期目の出馬を断念したのは、テト攻勢後、アメリカ国内での政府批判の高まりが原因といわれる。

本作で描写される古都・フエの攻防戦もすさまじかったようだ。

ベトナム戦争というとジャングル戦のイメージが強いが、フエの攻防は町の通りで戦われた市街戦であり、戦いは1カ月続いて、双方合わせて約1万5千人が死んだといわれる。

撮影は、ベトナムではなくイギリスで行われた。ロンドンの東、イーストロンドンにあるガス会社の敷地内にあった解体予定の建物を使って、そこに戦時下のフエの街並みを再現し、1年にわたって撮影が行われたという。

また、ベトナムの雰囲気を出すため大量のヤシの木やバナナの木が南スペインから輸入され、イギリス在住のベトナム移民をはじめとする約5000人の俳優・エキストラを起用し撮影に臨んだんだとか。

戦車はというと、ベルギー陸軍から6両のM-47パットン戦車を借りて、英仏海峡を船で運んだという。

 

映画の中で、アメリカの若い兵士や、ベトナムの少女のような若さの狙撃兵が死んでいく様子が生々しく、悲しかった。

映画のラストは、若い海兵隊の兵士たちがディズニーの「ミッキーマウス・クラブ」の歌を歌いながら行進するシーンだった。

ミッキーマウス・クラブ」はアメリカの子ども向けのバラエティテレビ番組で、1955年から59年にかけてABCテレビで放送され、人気を博した。本作に登場する新兵たちがベトナムに赴いたのは1967年から68年にかけて。つまり、「ミッキーマウス・クラブ」の歌を大声で歌う新兵たちは、つい最近まで子どもだったわけで、そんな彼らが過酷な訓練によって殺戮者に変わっていった姿を、あの最後のシーンは象徴的に描いているのだった。