善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ハチジョウツグミは黄八丈に由来か

木曜日朝の善福寺公園は快晴。空は青空だけど、風は冷たくて強くて実を縮めるほどの寒さ。

本ブログを書いている途中、急に強い揺れ。栃木、埼玉で震度5弱の揺れだったが、このところ関東近辺で地震が多いのが気になる。

 

上池をめぐっていると、久々にジョウビタキのメスを発見。

まだ北には帰ってなかったみたいだ。

ただし、エサを探すのでもなく、木の高いところでじっとしている。

枝に隠れて、おなかしか見えない。

しばらく動かないでいたが、やがて飛び去っていった。

 

きのうの強風の影響か、太い枝が落ちかかっていた。

善福寺公園が開園してから60年あまり(たしか2021年が開園60周年)。そのころ植えた木も、あるいはそれ以前の木はなおさら、年老いつつあるのだろうか。

 

上池を半周して下池へ。

2羽のツグミが仲よくエサ探し。

越冬中は単独行動だったが、北へ帰るころになると仲間と一緒になるのかも。

枝にとまったツグミがこれから帰る北をじっと見てる?

ハチジョウツグミが「八畳」なら、ツグミは「四畳半」?

 

コゲラが細~い枝にとまってしきりに枝をつついている。

枝にできたコブみたいのを執拗につついている。

虫の卵かなんかを見つけたのだろうか。

 

ウメの木にエナガがやってきていた。

お次はリキュウバイ(利休梅)の枝に。

エナガのおかげで気づいた。

いつの間にかリキュウバイの花が咲き始めていた。

中国・揚子江下流域を原産とするバラ科の落葉樹。明治時代に渡来したというが、名前の由来は、茶人・千利休の命日(旧暦2月28日)に合わせ「利休忌」という追善茶会が毎年3月27、28日に開かれるそうで、その利休忌に咲くウメのような美しい花、というのでリキュウバイと名づけられたのだとか。

 

オナガもやってきていた。

尾が長いのでオナガ。同じように尾が長いエナガとくらべるとかなりドデカイ体をしていて、「ギャーギャー」と鳴く声がうるさく、それでだいぶイメージを損している。

 

公園から帰ろうとしたら、けさも落葉の下の虫を探すハチジョウツグミ

ハチジョウツグミの名前の由来について、きのうは「八畳」が由来とする説を紹介したが、あれは野鳥観察をしている人たち(いわゆる“鳥屋”さん)の間での符丁のようもなものらしい。

それよりもたしかなものとして、ハチジョウツグミの羽の色が八丈島産の紬(つむぎ)の色によく似ているから、との説があり、どうやらこれが正しいようだ。

けさ見たのもまさしく八丈島でつくる絹織物の色「黄八丈(きはちじょう)」の色だった。

 

江戸時代中期から後期にかけての大名で近江国堅田藩主(のちに下野国佐野藩主)堀田正敦(1758年~1832年)が編纂した禽類(鳥類)の研究書「観文禽譜」(1794年)に次の記述がある。

「(ハチジョウツグミの名の由来は)八丈島の産にあらず、八丈島に産するところの紬の色に似たりといえり」

八丈島の紬といえば日本三大紬の1つともいわれたりするが、「黄八丈」として有名だ。

黄八丈八丈島に古くから伝わる草木染めの絹織物のこと。島に自生する植物の煮汁で黄色、樺色、黒色に染められた糸を織ってつくられるが、自然がつくり出したといってもよいその色合いは、ハチジョウツグミの羽の色にとてもよく似ている。

八丈島は、室町時代の文献では「沖島」と記されていて、八丈島ではなかったという。江戸時代に幕府の直轄領となって絹織物を年貢に課され、取引された単位が八丈の長さ(約24m)だったものだから「八丈絹」と呼ばれ、島の名前も「沖島」から「八丈島」になったのだとか。

江戸時代に、ハチジョウツグミの鮮やかなおなかの色を見て、「まるで美しい八丈絹のようだ」というので「八丈鶇」と名づけたのはうなずける話だ。

 

これに対して、よくわからないのば「ハチジョウ」を「八畳」と呼ぶことだが、斑の色合いに例えたのだろうか。

「八畳」にはシャレめいた意味合いがあるようで、鳥屋さんたちはツグミのことを「四畳半」といったりしている。

「畳」の字はもともと、その広さをいうのではなく、「たたむ」「かさなる」「つみかさなる」「くりかえす」の意味があり、「あつい(厚い)」「ひだ」の意味でも用いられていたという。

とすると「八畳」とは八畳の広さをいうのではなく、積み重なるもの、すなわち色の濃さを意味しているのかもしれないが、かなりムリがあるこじつけめいた名前の由来といえる。