仕事で福岡へ。
地下鉄・博多駅で降りて、駅構内で博多名物という因幡(いなば)うどん。
仕事のあと、せっかく九州に来たのだからと1泊することにして、佐賀の武雄温泉に行く。
今年の9月23日、博多と長崎を結ぶ西九州新幹線が開業したはずだが、博多から途中の武雄温泉までは「リレーかもめ」という在来線の列車で運行し、同じホームの反対側で待っている「かもめ」に乗り換えると、そこからが新幹線となっている。
白いカモメとはまるでイメージの違う、鉄かぶとみたいな黒い車体の「リレーかもめ」。
武雄温泉駅で下車すると、同じホームに新幹線の「かもめ」が待っているものの、外観をながめるだけでサヨーナラ。
泊まったのは「ホテル春慶屋」。
明治初めの創業で、昭和天皇が泊まったこともある歴史のあるホテル。
武雄温泉で唯一、100%かけ流しの展望露天風呂が自慢という。
湯加減もちょうどよくて、いつまでも入っていたいほどのいいお風呂だった。
夜は部屋食メニュー。
朝食もおいしくいただく。
スタッフのみなさんは終始笑顔で親切。とてもくつろげるホテルだった。
朝、チェックアウトのあと訪れたのは、ホテルの隣にあった武雄温泉のシンボル「楼門」。
1915年(大正4年)に東京駅や日本銀行本店を設計したことで知られる佐賀県唐津出身の建築家、辰野金吾の設計で、国の重要文化財に指定されている。
竜宮城を連想するような鮮やかな色彩と形で天平式楼門と呼ばれ、釘を一本も使っていない独創的な建物だとか。
楼門奥にある武雄温泉新館(現在は資料館)も辰野の設計。
マンホールの蓋のデザインも楼門。
続いて行ったのは「御船山楽園」。
御船(みふね)山の麓に広がる庭園。佐賀藩の自治領である武雄領第二十八代領主・鍋島茂義(しげよし)の別荘として造営されたという。
整った感じの庭園と違って、山麓を切り開いてつくっただけに自然が残っている。
紅葉真っ盛りには少し早いが、そこそこモミジが色づいていた。
御船山楽園から武雄温泉駅に向かう途中にあるのは、やはり御船山の山麓にある武雄神社。
境内のはずれにあった「武雄の大楠」。
推定樹齢3000年といわれるご神木。
武雄市図書館、武雄市こども図書館を経由して、武雄温泉駅から吉野ヶ里遺跡をめざす。JR佐世保線で佐賀駅から長崎本線に乗り換え、吉野ヶ里公園駅下車。
吉野ヶ里遺跡は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。およそ117ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落跡で知られている。
1986年(昭和61年)からの発掘調査により発見され、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された邪馬台国を思わせるような濠や竪穴式住居などが見つかったというので一躍有名になった。
現在は吉野ヶ里歴史公園として整備されていて、その中に98棟の弥生時代の建物が復元され、往時の暮らしが再現されている。
国の特別史跡に指定されていて、まわりを二重の環濠で防御され、物見櫓もあるというので日本の城郭のはじまりと考えられていて、日本100名城にも選ばれている。
かわいいイノシシがお出迎え。
何しろ今から2300~1700年前という弥生時代の遺跡であり、遺構として残っているのはほとんどが柱の穴の跡とか濠の跡とかいったもので、建物はその穴の大きさとか深さ、位置関係などから、かなり推定と想像が働いて再現されている。
しかし、それでも確かなことがある。
二重の濠で囲まれた「北内郭」と呼ばれる場所は、吉野ヶ里の「クニ(国)」の祭祀の中心であり、さまざまな儀礼がここで行なわれたと考えられていて、その根拠となるのは、祭祀を行う場所が冬至の日の出、日の入りを結ぶ線上に位置していることだ。
当時の人々にとって、何より恐ろしかったのは夜の闇ではなかったか。照明などない時代、夜は魔界の時間だった。なるべくたくさんの昼の時間を欲した人々は、1年のうち一番昼の時間が短いのは冬至の日であり、その日を境に昼の時間が長くなるのを知っていた。だから冬至の日は彼らにとって特別の日であり、その日が早くくることを願い、到来を祝うのだった。
また、早く春がきて作物が育ち実ることを待ち望む気持ちも強かっただろう。
今も世界の各地で冬至の日を祝う儀式やイベントが残っているし、キリスト教のイエスの誕生日も、もともとは冬至の日を祝う祝祭日だった。
吉野ヶ里のクニの人々が信仰したのも、太陽だった。
歴代首長(指導者)を埋葬したと考えられる巨大な墳丘墓のそばに立つ柱。
まさしく諏訪大社の御柱と同じ、太陽信仰のしるしとしての柱に違いない。
墳丘墓内のお墓の遺構。
弥生時代は大型の素焼きの土器(甕棺)に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法がとられていて、弥生時代中ごろのおよそ200年の間、盛んに使われていたという。
遺跡の発掘調査は現在も行われている。
公園内では赤いそばの花が一面に広がっていた。
日本で咲くそばの花といえば白い花だが、そばの原産地は中国南部やチベット、ブータンあたり。赤米同様、そばももともとは赤いそばだったのか。
今回の旅の途中で出会った生き物たち。
ヤマガラが木の実をくわえていた。
以下は吉野ヶ里公園にて。
地面の陰の暗いところにいたのはコオロギみたいな虫。
大きさからしてエンマコオロギだろうか。
頭の触角も長いが、お尻から出ている2本の触角も長い。
トノサマバッタ、それともクルマバッタか。
小さく丸っこいカメムシ、マルカメムシ。腹部全体は発達した小楯板で全てを覆われている。
アップで見ると銅板を打ったような無数の点刻が印象的。
カマキリが地面を歩いていて、こちらをジロリ。
有田焼といえば白磁の美しさだが、400年の伝統を誇る有田焼の磁器を現代生活にフィットするものにしようと、「2016/」と題して立ち上げられた新ブランドという。
国内外から選ばれた有名デザイナーたちが器づくりに参加し、購入したのは藤城成貴氏デザインのマグカップ。
釉薬がけの上にエアブラシで吹き付けるという工程を経ているため、やさしいマットな質感に仕上がっている。
軽くてスタイリッシュで、とても有田焼とは思えない、いや新有田焼といえようか。
帰りの佐賀空港のレストランで食べた佐賀チャンポン&ビール。
一路、羽田へ。