善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

宗像大社・博多散歩

仕事で福岡へ。その夜は玄界灘に面した宗像市にある玄海ロイヤルホテルに泊まる。
博多駅まで迎えのバスがきてくれて、ホテルまで1時間10分ほど。
温泉が湧いていて、大浴場と露天岩風呂を楽しむ。泉質はアルカリ性単純温泉
中国からの客が多い。泊まった日は春節で、中国の旧暦の元旦だった。

翌朝、部屋の窓からのながめ。遠くに左に島が見える。先ごろ世界遺産に登録された宗像大社のお宮の1つがある大島だろう。
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というわけで、朝食後、ホテルをチェックアウトして宗像大社に向かう。
宗像大社といっても1つではなく、九州本土にある辺津(へつ)宮、大島にある中津宮沖ノ島にある沖津宮の総称。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)。2017年に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界遺産文化遺産)に登録された。

有名なのは沖の島。世界遺産なのに一般人はだれも行けない。1人の神職だけが10日交替で島に常駐しているという。九州本土の北方海上約60km先にあり、一般の人は11km先にある大島まで船で渡ってそこから遥拝する。

もともと沖ノ島を含む宗像の地は中国大陸や朝鮮半島に近いことから中国・朝鮮との人的・文化的交流の窓口となったのだろう。
日本書紀」には「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との 神勅(しんちょく)を受けて先の三女神がこの宗像の地に降臨したと記されている。

沖ノ島では古代からさまざまな祭祀が行われてきたのだろう。ここでは鏡、勾玉、金製の指輪など、約10万点にのぼる貴重な宝物が見つかり、そのうちナント8万点が国宝に指定されているという。

大島までは行かず、辺津宮にお参りする。
入口の鳥居。
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本殿・拝殿。
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国の重要文化財。本殿は12世紀までに築かれたが消失したりしたため、天正6年(1578年)に再建された。 柿葺の流麗な屋根、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の建物で、安土桃山時代初期の特色をよく表しているという。また拝殿は天正18年(1590年)に時の筑前領主・小早川隆景が再建。切妻妻入造(きりづまつまいりづくり)で、屋根は本殿と同じく柿葺。

宗像三女神の降臨地と伝えられるのが「高宮祭場」。小高い丘の上にあり、階段をのぼっていくこと約10分ほど。社殿を有しない日本古来の祈りの姿を今に伝えている。
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沖ノ島でも、もともとの祈りの場は大きな岩の上だったという。太陽を崇拝する自然信仰が元々の祈りの形だったのだろう。それがやがて岩の影での祈りとなり、露天の祈り、社殿の中への祈りへと変遷していったのだろう。

8万点もの国宝を収蔵・展示するのが「神宝館」。展示されてるものすべてが国宝。
有名なのは5世紀ごろの純金製の指輪。花文様と円文があしらわれ、気品に満ちた輝きを放っている。
神宝館は撮影禁止だったが、唯一撮影オーケーだったのが「奈良三彩小壺」。ただし複製品。
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昼食は宗像大社向かいにある「潮の里」という店で。タクシーの運転手さんに教えてもらった店で、創業100年の魚屋さんが経営しているという。
宗像は剣先イカ、フグの水揚げ港なんだとう。あまりにウマイもんだから佐賀や山口のプロの業者も道の駅にある市場まで買いにきて、宗像のイカやフグが“呼子イカ”“下関のフグ”となって売られている、とは運転手さんの話。
それならとイカの刺身を注文。
この日は不漁のためか活き造りはできないとのことだったが、甘味があってウマイ!
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にぎり鮨も堪能。
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午後は博多に戻って中州や天神あたりを散歩。
上川端商店街のぜんざい屋さんに飾ってあった博多祇園山笠の八番山笠。前側は倶利伽藍峠の戦いで、裏側はスターウォーズだった。
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福岡市赤煉瓦文化館。もともと日本生命九州支店として明治42年(1909年)に竣工。設計者は東京駅を設計した辰野金吾。何となく東京駅に似ている。
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天神にあるアクロス福岡。全面ガラス張りのおしゃれな外観。
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横にまわると、そこは森の山だった。
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屋上緑化スペース「ステップガーデン」。階段状になった屋上に植樹して緑化していた。
1995年に建てられた当時も話題になったが、20年あまりたって、ますます緑は深くなっているようだった。

夕方、天神のデパート地下で剣先イカの一塩干しを購入。
帰ってあぶって食べたらそのウマイこと。