銀座の「泰明庵」で昼下がり、酒飲みの友人とイッパイ。
数寄屋橋交差点から目と鼻の先、新入生の標準服にアルマーニ製を導入するというので話題になった区立泰明小学校近くの銀座の裏通りにある、そば屋兼居酒屋。
昼のメシ時はサラリーマンなどでにぎわうが、昼をすぎるとそばよりも酒を飲みたさに人が集まってくる。
ここで飲む酒は、居酒屋で飲むより粋な感じがするのはなぜだろうか?
今をさかのぼれば江戸時代、そのころ江戸に居酒屋はなく、江戸末期に書かれた「守貞謾稿(もりさだまんこう)」という風俗考証書によれば、そば屋の数は3760店もあったという。現在の東京のそば屋の数と比べても、総数でも、人口比でもダントツ多かったのではないか。
江戸っ子は気が短い。そばを注文して待っている間もイライラしてくる。そこで、そばが出来上がるまでのつなぎとして出されたのが酒だったという。このためこの時代、外で酒を飲むといえばそば屋で飲むことを意味していた。
つまみはカマボコとか焼き海苔とか簡単なものだっただろうが、そばの具だけを出す「天抜き」とか「鴨抜き」なんかも、すでにそのころからあっただろう。
ちなみに先の「守貞謾稿」によれば、当時のそばの代金は16文。天ぷらそばは32文で、上酒1合は40文となっている。
1文を現在の貨幣価値で16・5円で計算すると、そばが264円、酒は上酒で1合660円ということになる。
そんなウンチクはさておき、ビールを軽くひっかけたあとは「出羽桜」を熱燗で。
つまみは、まずはセリのお浸し。
鯛と赤貝の刺身。
こごみとタラの芽の天ぷら。
白子とモロコ(だったか)の天ぷら。
天ぷら続きだったのでほかにもお浸しを一品注文したものの、〆のそばまでには至らず、おなかいっぱいになってお積もり。
銀ブラして家路についた。