善福寺公園めぐり

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居酒屋の誕生

飯野亮一『居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化』(ちくま学芸文庫)を読む。

江戸時代、江戸の町には多数の居酒屋があって、今から200年ほど前の文化8年(1811)に行われた調査によると1808軒の居酒屋(煮売居酒屋)があったという。
当時の江戸の人口は約100万人と推定されているので、553人に1軒の割合で居酒屋が存在していたことになる。業種別では飲食業界のトップを占める。
現代はどうかというと、総務省統計局の調べでは平成18年(2006)における東京の「酒場・ビアホール」の数は2万3206軒。これを人口比でみると546人に1軒の割合となる(東京の人口1266万人で計算)。つまり、200年前の江戸の町には今と同じように居酒屋が繁盛していたことになる。

江戸の町に居酒屋があらわれるようになったのは18世紀中ごろの寛延年間(1748~51)といわれる。これは、居酒屋の名称が使われるようになり、居酒屋という業種が形成されるようになったのがそのころという意味で、それ以前にも酒を小売りする酒屋が店先で客に酒を飲ませることはあった。それからわずか50年ぐらいの間に、業界トップの業種に成長していたというわけだ。

それほど江戸の町に居酒屋が繁盛した理由の1つとして、江戸が“男社会”であったことがあげられる。
享保6年(1721)の調査では、町方人口は50万1394人で、内訳は男32万3285人、女17万8109人。男が女の2培近い数になっている。ということは、独り者の男も当然のことながら多かったろう。
そうすると、ほかに行き場がなくて酒屋に足を向ける男も多かったに違いない。
また、そのころ、町人と同じ50万人ぐらいの武士が居住していたと推定され、武家の社会も男社会で、多数の江戸勤番武士が単身赴任でやってきていて、下級武士が居酒屋へ行くことも多かったろう。

ほかにも江戸時代の居酒屋は冬でも夏でもお燗の酒しか出さなかったという。
ちなみに、世界中で酒を温かくして飲むのは日本と中国の紹興酒しかないという(ただし、紹興酒は常温でも飲むのに対して、日本人は1年中燗して飲んでいる)。
日本酒はお燗に向いた酒なのかもしれない。

そういえばこれからはお燗の季節。