善福寺公園めぐり

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永平寺・禅の世界 修行のあとのねっとりしたもの

NHKBSで放送していた「永平寺 禅の世界」を観る。

福井県にある曹洞宗大本山永平寺の修行僧の生活を半年にわたり取材したドキュメンタリー。何年か前に放送したものの再放送のようだった。

 

修行中の禅問答がなかなかおもしろかった。

以前、仏教を研究している方に話を伺ったときに、禅宗の特徴のひとつは問答の宗教であると聞いてことがある。

教義とか聖典というものがないかわりに、問答によって修行者自身に悟らせるのが禅宗だという。

禅の問答は難解あるいは不可解なことで知られるが、それにも理由があって、1つは問答は口頭で行われ、それを記録したものが語録となっていて、それぞれの時代で話し言葉も違ってくるので、かえって文語文よりわかりにくくなるのだという。

また、禅の問答は師が弟子に正解を教えるものではなく、質問者である弟子自身に答えを発見させるものなので、答えに気づかない側からすると非常にトンチンカンに聞こえるのだとか。

落語の「こんにゃく問答」ならとてもわかりやすいのだが。

 

番組の中で、道元禅師の教えとして字幕に出ていた言葉として「渓声便是広長舌(けいせいすなわちこれこうちょうぜつ)、山色豈非清浄身(さんしきあにしょうじょうしんにあらざらんや)」というのが気になった。

それであとで調べてみたら、中国の北宋時代の詩人・蘇東坡の詩の一節だという。

 

現代語に訳せば、谷川のせせらぎの音は仏さまの説法であり、山の緑はそのまま仏さまのお姿にほかならない。これすなわち森羅万象すべて仏さまの導きによるものなのだ、ということになるか。

なかなか含蓄のある言葉だった。

 

番組の最後に、テレビカメラが入れないという修行があり、それは12月1日から始まる「臘八大摂心会(ろうはつだいせっしん)」という修行だった。

「臘」とは12月を意味する「臘月」のことで、「八」は「8日」のこと。「摂心」とは「心をおさめる」ことで、つまりは禅のことで一日中座禅し続ける修行らしい。

曹洞宗の座禅といえば「只管打坐(しかんたざ)」。

たしか道元の教えだったと思うが、意味は「ただ、ひたすらに座る」。

 

臘八大摂心が終わるのは12月8日で、この日は釈迦が悟りを開いたとされる日だ。

1週間に及ぶ摂心は7日の夜の徹夜座禅を経て、日付をまたいで8日未明に終了し、終わるあたりからカメラが入るのが許され、摂心を終えた僧たち1人1人に出山如来、つまり山から下りてきた釈迦が食べたことにちなむ粥が供されるところが映っていた。

僧たちが手を差し出すと、ねっとりした親指大ぐらいのものが手のひらにこすりつけられ、僧たちはそれなめるように食べていた。

明らかに普通の粥とは違う感じで、あのねっとりしたものは一体なんだったか?

 

たしか山から下りてきた釈迦(まだ悟りを開く前だったからブッダではなくゴータマ・シッダールタ)は、それでもまだ悟りを開くことができないでいた。

山中にこもったゴータマは草だけを食べ、ときには牛糞だけという苦行を6年間も続けたが、それでも自らの苦悩を解決することはできず、ついに山を下りる。これを「出山如来」というそうだ。

何しろ6年間も飲まず食わずだったものだから極度の栄養失調に陥っていて、衰弱したゴータマは動くこともできなくなった。

そこに現れたのがスジャータという村娘だった。骨と皮だけとなった姿をみかねたスジャータは、牛の乳と蜂蜜を混ぜたお粥、乳粥を差し出し、それを食べて元気を取り戻したゴータマはそのとき、これまでにない安堵感を覚えたという。

そして、近くの菩提樹の下に座し、瞑想の末についに悟りを開くことができた。

つまり、ゴータマが仏教の開祖となるきっかけとなったのが蜂蜜入りの乳粥だった。

 

そういえばイスラム教はすべての信徒が毎年、一斉に断食するラマダンを行うが、ラマダン月の期間中、日の出から日没までは飲食が禁じられる。日没後も、いきなり食事を始めるのではなく、最初に口にするのは一杯の水と、凝縮した干し柿のような甘さの乾燥ナツメヤシだという。

食事をせずに疲労困憊した体には、釈迦が甘い蜂蜜入りのお粥を食べたのと同様、甘い味のナツメヤシがピッタリなのだろう。

特に疲れた体で真っ先にエネルギー源を必要とするのは脳だ。脳のエネルギー源となるのはブドウ糖しかない。蜂蜜の場合、含まれるブドウ糖は単糖類であり、食べればただちに吸収されて脳に届き、大いなる安堵感、安息感を抱いたに違いない。

 

キリスト教でも、キリストの先輩に当たる洗礼者ヨハネは、禁欲のため断食を繰り返していて、もっぱらイナゴと野蜜を食べて人々に改心を呼びかけたと聖書にある。

キリストも蜂蜜を食べていて、十字架にかけられたキリストが3日後によみがえったとき、最初に食べたものは一般には「焼いた魚」とされるが、1611年にイギリスで編纂された「欽定約聖書」では、「焼いた魚とハニーコム(ミツバチの巣)」となっている。

 

一週間に及ぶ臘八大摂心を終えた僧たちに与えられた「ねっとりしたもの」も、釈迦の故事にならった蜂蜜入りのお粥だったかもしれない。