善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

予想外の結末 闇という名の娘

ラグナル・ヨナソン「闇という名の娘」(訳・吉田薫、小学館文庫)

  

アイスランドのミステリー。

2015年にアイスランドで刊行された「DIMMA」の英語版を、去年12月に本邦初訳で刊行されたもの。

ずっと前に図書館に予約しておいたが、新型コロナウイルスの蔓延で図書館が休館になってしまい、長きにわたる預け。ようやく26日から予約済みの本の貸し出しだけ再開し、手に入ったもの。

活字に飢えていたのか、土曜日のたった半日で読了してしまった。

 

原題の「DIMMA」とはアイスランド語で「闇」という意味だが、何と娘の名前だという。その意味で邦題はそのままズバリの題名だ。本書の中で、「語感がいいので名づけた」というくだりがあったが、日本人だったら娘の名前に「闇」とはつけないと思うが・・・。

 

主人公はレイキャヴィク警察・犯罪捜査部の女性刑事フルダ・ヘルマンスドッティル。

"ガラスの天井"に出世をはばまれ、優秀な働きをしているのに警部止まりで64歳となり、定年を迎えようとしていた(アイスランドの警察官は65歳で定年らしい)。

ある朝フルダは、20歳も年下の上司に呼び出され、2週間後に若手の後任警部に部屋を明け渡すようにいわれる。

残りの2週間、フルダに許されたのは、未解決事件の処理だった。

そこでフルダは、1年前海岸で遺体で発見されたロシア人の若い女性の再捜査を始めるのだが‥‥。

 

とてもわかりやすい筆致なので、スルスルと読める。登場人物も10人ちょっとなので、フルダ・ヘルマンスドッティルとかアルベルト・アルベルトソン、アゥキ・アゥカソンとか舌を噛みそうな名前が出てきてもそれほど戸惑うことはない。

しかもわずか3日間の物語。

ところが、単純な話の展開かと思ったら、まさに「闇」のように深い話で、最後は想像できないような結末を迎える。

これぞミステリーの醍醐味!といえるほどだった。

 

しかも本書は三部作の第1作で、第2作は時間をさかのぼって50代のフルダの活躍が描かれ、第3作では40代へとさかのぼるのだとか。

第2作、第3作も読みたくなった。