善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

昔の記憶蘇った「夢見る帝国図書館」

遅ればせながら中島京子「夢見る帝国図書館」(文藝春秋)を読む。

 

上野にある国立国会図書館支部の「上野図書館」を主人公にした小説。上野図書館といっても2000年からは国際子ども図書館となっているが、戦前までは帝国図書館であり、戦後の1949年に永田町に国立国会図書館がオープンすると、ここはその支部(分館)となった。その上野図書館をめぐり、30代の小説家(まだ駆け出しでフリーライターと兼業している)が語り手となって、図書館の歴史にダブッって一人の女性の人生が描かれていく。

 

小説を読み始めて、大昔の、高校生のころの記憶がメラメラとよみがえってきた。

高校のころ、たしかにあの上野にあるレンガ造りの上野図書館に通ったのだった。

当時高校3年生で、大学受験の勉強を始めたのは夏ごろからだった。始めはお茶の水か水道橋かにあった予備校に通ったが、つまらなくて数日でやめてしまった。

かわりに図書館で勉強しようと、夏の間は日比谷図書館に通った。

ところが日比谷図書館はけっこう混んでいるときが多く、早く行かないと席を確保できないことがある。特に秋になると受験生の数がぐっと増えてきて競争が激しくなる。

どこかほかに落ち着いて勉強できるところはないかと見つけたのが上野図書館だった。

だれかの紹介だったのか、どうして上野図書館を知ったか、今となっては記憶が定かではないが、たしか上野図書館国立国会図書館の分館だったから18歳未満は利用できなかったはずだ。しかし、秋にはもう18歳の誕生日を迎えていたから、そのへんはクリアできていたのだろう。

さすがにあの図書館で勉強しようなんて高校生はいなくて、いつも空いている席に悠々と陣取っていたのを覚えている。

 

小説を読むと、上野図書館には明治のころから多くの文人が通っていたようだ。

特に樋口一葉は頻繁に通っていて、あまりの熱心さに筆者はこう書く。

 

図書館も夏子に恋をした。

 

夏子とは一葉の本名。

もっとも樋口一葉の来館目的は蔵書を読むためであり、そこで勉強したくて通ったわけではなかっただろうが。

 

「夢見る帝国図書館」のあらすじは、文藝春秋HPによれば以下の通り。

 

「図書館が主人公の小説を書いてみるっていうのはどう?」
作家の〈わたし〉は年上の友人・喜和子さんにそう提案され、帝国図書館の歴史をひもとく小説を書き始める。もし、図書館に心があったなら――資金難に悩まされながら必至に蔵書を増やし守ろうとする司書たち(のちに永井荷風の父となる久一郎もその一人)の悪戦苦闘を、読書に通ってくる樋口一葉の可憐な佇まいを、友との決別の場に図書館を選んだ宮沢賢治の哀しみを、関東大震災を、避けがたく迫ってくる戦争の気配を、どう見守ってきたのか。
日本で最初の図書館をめぐるエピソードを綴るいっぽう、わたしは、敗戦直後に上野で子供時代を過ごし「図書館に住んでるみたいなもんだったんだから」と言う喜和子さんの人生に隠された秘密をたどってゆくことになる。
喜和子さんの「元愛人」だという怒りっぽくて涙もろい大学教授や、下宿人だった元藝大生、行きつけだった古本屋などと共に思い出を語り合い、喜和子さんが少女の頃に一度だけ読んで探していたという幻の絵本「としょかんのこじ」を探すうち、帝国図書館と喜和子さんの物語はわたしの中で分かち難く結びついていく……
知的好奇心とユーモアと、何より本への愛情にあふれる、すべての本好きに贈る物語!

 

図書館と喜和子さんのつながりを探訪するナゾ解きっぽい話の展開もおもしろいが、要所要所で挟まれる「帝国図書館の歴史」が、本が語り部となったりしてわかりやすくて、しかも痛快。

最後のほうでは、戦後の混乱期を必死に生きようとする喜和子さんの少女時代の姿にホロッとさせられた。